カテゴリー別アーカイブ: ゲーム理論

ビンモア『自然的正義』

表題の書籍は現在翻訳中ということだが、いつになったら出版されるのだろうか?
この本が日本で普及することを願っている。

以下、引用。

ケン・ビンモア Ken Binmore
『自然的正義』 鈴村興太郎 他訳
原書:Natural Justice(Oxford Univ. Press, 2005)
本書においてビンモアは,道徳に対するカント流のア・プリオリな理解に対抗して,道徳原理を,人間の進化の歴史によって自然主義的に理解しようとする.その際,彼は合理的で利己的な諸個人を前提としたゲーム理論的枠組みを採用しており,諸個人が公正な社会契約を締結した社会が発展するという議論を展開している.論争の余地が多いが,道徳原理をゲーム理論的に理解しようとする意欲的な著作である.
(現在,翻訳中)

引用元: NTT出版 叢書≪制度を考える≫ | 仮想制度研究所 VCASI.

安田洋祐「今日で世界が終わるなら、何が『できる』か」

安田洋祐「今日で世界が終わるなら、何が『できる』か」、『インセンティブの作法』、東洋経済オンライン.

ツイッターで著者ご本人から教えていただきました。

概略としては

  • 世界の終わる日に仕事する人はいない。
  • 世界の終わる日にはお金は価値を失う。
  • 世界の終わる日がいつか分かると
    (後ろ向き帰納法により)
    終わりの日以前でもお金は価値を失う。

というお話です。

このお話は、細かいところで幾つか異論はあるのですが、
概略としてはとても参考になります。

前半の仕事の話については、以前書いた
【映画】エンド・オブ・ザ・ワールド
が関連します。

後半のお金の価値の話については、
岩井克人『貨幣論』を参考にしているのではないかと推定されます。
同書は日本で一番有名な「マネーはバブルだ」論です。
同書についてはまだ本ブログで言及していなかったので
後日扱いたいと思います。

徒然草の大福長者

兼好法師の書いた徒然草に、
ある大福長者から聞いた話が載っている。
大福長者というのは今でいえば大富豪のこと。
徒然草は鎌倉時代の終わり頃にまとめられたようだから、
この大福長者は鎌倉時代後期を生きた大富豪である。
この大福長者は金儲けの方法について次のように語ったという。

「人は何よりも一途に利益を得なさい。
 貧しくては生きる甲斐がない。
 富める者のみが人といえる。
 利益を得ようと思うなら、
 まず心の使い方を修業しなさい。
 その心というのは他でもない。

  1. 人の世が永続するものと思って、
    仮にも無常と思ってはならない。
    これが第一の用心である。
  2. 何でも用を叶えてはならない。
    人は皆、願望が無限である。
    欲に従って望みを遂げようと思えば、
    百万の銭があっても少しも続かない。
    願望は止むことがない。
    財は尽きる限度がある。
    限りある財をもって、限りない願を叶えることはできない。
    願望が心に生じかけたら、
    自分を滅ぼす悪念が来たものと堅く慎み恐れて、
    少しの用も為してはならない。
  3. 銭を召使いのように用いる物と考えれば、
    ずっと貧苦を免れることはない。
    主君のように神のように畏れ尊め。
    銭を従えて用いようとしてはならない。
  4. 恥辱を受けたとしても、怒ったり怨んだりしてはならない。
  5. 正直にして約束を堅く守りなさい。

 この義を守って利を求めようとする人に富が来る。
 それは、乾いた物に火が付き、
 低い所に水が流れるのと同じである。
 銭が積もって尽きない時は、
 宴会・飲酒・歌唱・色事をやらず、住宅を飾らず、
 願望を叶えなくても、心は永遠に安楽である。」

大福長者の五箇条の教えは、かなり含蓄が深い。逐条解説しよう。

第1条 人の世が永遠に続くと思え

原文は
「人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずる事なかれ」。

「人間」は今では一人一人の個人の意味しかないが、
もともとは人間世界の意味である。
鎌倉時代の当時にあってはどちらの意味でも使っていた。
個人は必ず死ぬから常住とはいえないので、
ここは人間世界の意味に捉える。

「常住」と「無常」は対になった仏教用語である。
鎌倉時代に成立した平家物語の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とあるように、
当時は諸行無常が流行思想であった。

諸行無常はもともと大乗仏典の般若経にある言葉である。
般若経によると、
「俗世の行いは無常だが仏陀は常住である」という。
「常住」とは永遠に生きるという意味であり、
「仏性常住」とは
「成仏すれば永遠の命が手に入るぞ」
という宣伝文句である。

永遠の命を望む煩悩に囚われていては、
とても悟りをひらけそうにもないが、
ともかく般若経はそのように説く。
鎌倉時代人の多くはそれを信じた。

こうした当時の風潮に対して、
大福長者は一人で異議を申し立てる。
「人間常住」すなわち「人間世界こそ永遠である」と。
しかも人間常住を念ずると金儲けできるという。

理由は書いてない。
次の第2条や第3条に関しては理由が書いてあるが、
第1条については
記録者の兼好法師が興味を持てなかったためか、
理由が残されていない。

ただ、第5条に約束を守れとあることと組み合わせて考えると、
理由が見えてくる。
「人間常住」とは、
「無限繰り返しゲームをプレイするつもりでおれ」
という意味であろう。

無限繰り返しゲームは
現代のゲーム理論で研究されるゲームの一種である。
商取引は常に囚人のジレンマの状況にある。
ということは以前の記事「商人のジレンマ」に書いた。

有限回の囚人のジレンマでは取引は成立しない。
しかし、無限繰り返しゲームでは、
囚人のジレンマから脱して、相互に得する状態に昇華できる。
ウィン・アンド・ウィンで商取引は成立する。

こうした無限繰り返しゲームのアイデアは、
1950年代にゲーム理論家の間で自然発生し、
1959年にオーマンというイスラエル人のゲーム理論家が
初めて発表した。

鎌倉時代の大福長者が、
本当に現代のゲーム理論と同じ考えをしていたかどうかは
兼好法師が書き残してくれなかったから分からない。
ただ、第5条に約束を守れとあることを見ると、
大福長者はゲーム理論と同じ発想をしていたと
解釈する以外に理解できない。

第2条 欲望を叶えるな

原文「万事の用を叶ふべからず」云々。

これは倹約の勧めである。
第1条と違って理由もちゃんと書いてある。
願望は無限で、金銭は有限だから、
いちいち願望を叶えていてはキリがない、
ということだ。

兼好法師はこの教えを批判して、
「人は願望を叶えるために銭を求めるものだから、
銭があっても使わないのでは貧乏と同じだ」
などと言っている。
兼好法師は荘園領主層の末端にいる不労所得者であるから
能天気な批判を加えて恥じない。

この条文は後世に最も影響を残した。
「金儲けするにはまず倹約しろ」
というのだから何といっても分かりやすい。
大福長者の教えの流れをくむ一連の書籍は必ず倹約を説く。
例えば、江戸時代初めに刊行された仮名草子「長者教」、
「大福新長者教」の副題を持つ井原西鶴「日本永代蔵」、
江戸中期から流行した石田梅岩の「都鄙問答」「斉家論」、
その他の商人道徳書の類い、
明治時代の福沢諭吉「民間経済録」など、
倹約を説かないものはない。

第3条 金銭を神のように尊べ

原文「銭を…君の如く神の如く畏れ尊みて従ひ用ゐる事なかれ」云々。

一見すると、拝金主義者か守銭奴を思わせる教えだが、
現代人は大福長者を笑えない。
現代人は、金銭を神に擬した「会社」という架空の存在を
創り出している。

鎌倉時代において寺社が経営体の一種であったように、
現代において会社は神々の一種である。
多くの人が会社を雇い主と仰いで仕えている。

大福長者が「銭を従えて用いてはならない」というのは
現代風にいえば「会社の金を私用で使い込むな」
という意味であって、
現代人は普通にやっていることだ。
鎌倉時代の当時は会社という制度がないので、
大福長者は自分の心の中に経営体をつくった。

当時にもイエという永続経営体があったが、
イエを組織したのは公家や武家などの上流社会に限られており、
商人はまだイエを組織していなかった。
その後、江戸時代になるとイエ制度が庶民に降りてきて、
商人もイエを組織するようになる。
こうして出来上がった商家において、
家産は先祖からの預かり物であり、
先祖の遺訓に従って運用するものであって、
イエの当主であっても私用に費やすことはできない。
家産をもって、先祖の神霊の所有物とみなしているわけだ。
明治時代になって会社制度が導入され、
経営体としては会社がイエを圧倒するようになって現代に至る。

会社は前に述べたようにお金の神霊に他ならない。
現代では大福長者の教えが社会に浸透している。
会社というお金の神霊に仕えることは、
現代人が普通にやっていることだ。

第4条 怒るな怨むな

原文「恥に臨むといふとも怒り怨むる事なかれ」。

理由は書いていない。
どうしてこれが金儲けに繋がるのか。
直ちに理解できないかもしれない。
おそらく次のような理由である。

不当な扱いを受けたら怒り怨み復讐する。
復讐を恐れる相手が不当な扱いを控えるようになり、
復讐する側が最終的に得をするケースがある。

しかし、復讐はコストを伴うから、戦略的な意図が無い限り、
復讐を怠けるようになる。
いちいち戦略的な思考をしなくても復讐を怠けないように、
怒りや怨みといった復讐感情が進化した。
そういう説が進化心理学で有力である。

復讐感情は人の心に埋め込まれた、
復讐を自動実行するプログラムである。
怒り怨みの感情を抱くという事は、
復讐の自動実行プログラムが作動中という事だ。

ところが、復讐しても最終的に得をしない場面であっても、
怒り怨みの感情が暴走してしまうと
余計な復讐をしてしまうことがある。
これは復讐プログラムの誤作動というべきものだが、
この誤作動が相当に根深く人の心に食い込んでいることは、
最後通告ゲームというゲームの実験でも確かめられている。

さて大福長者の状況を考えよう。
商売において、裏切られたからといって
わざわざコストをかけて復讐しなければならないかというと、
おそらくそういうケースは少ない。

商売で裏切った者、つまり債務不履行者は、
世間の評判を失い、取引停止処分を受けることで制裁を受ける。
裏切られた者がわざわざコストを負担してまで
復讐を遂げる必要はない。
この場合、復讐はコストがかかるだけ損である。
商売の場面で怒り怨みの感情は
復讐自動実行プログラムの誤作動でしかない。

さらに、復讐をちらつかせて相手の自制を求める場合、
復讐という脅しが信憑性を持つためには
相応の武力を見せつけなければならない。
武力は略奪の手段に転用し得る。
略奪の手段を見せつける者を
商取引の相手に選ぶのは危険である。
武力を見せつけると取引相手が見つからない。

山本七平は武士道と商人道を対比した。
復讐心は武士道に含まれる。
同じようにジェイコブズは、
統治の倫理と市場の倫理を対比した。
復讐心は統治の倫理に属する。

怒り怨みの復讐心を滅却せよという大福長者のアドバイスは、
「商売人たるものは、武士道や統治の倫理を捨てて、
商人道と市場の倫理に専念せよ。専念しなければ儲からんぞ」
というアドバイスであるといえる。

第5条 正直にして約束を守れ

原文は「正直にして約束を堅くせよ」。
このように兼好法師はさらりと書くだけで、
大福長者がこの教えを垂れた理由を書いてない。

一見すると正直にするとか約束を守るのは
当然の倫理のように聞こえる。
しかし、ここで大福長者は倫理を説いているのではなく、
金儲けの方法を説いているのだ。

大福長者曰く、正直者は得をする。何故なのか。

これとは真逆に、正直者は損をする、という諺があるが、
これは貧乏人の僻みに過ぎない。
「自分は正直者だが貧乏だ。豊かな奴は不正直に違いない」
などというように僻むから貧乏なのだ。
不正直者が商売できると思っているのか?

正直者であるとの評判を得なければ商売などできない。
このことの詳細は以前の記事「商人のジレンマ」に書いた。

また、無期限繰り返しゲームでなければ
正直にしていても商売は成立しない。
ここで大福長者の教えの第1条
「人の世が永遠に続くものと思え」
が生きてくる。
諸行無常などとうそぶいている者は商売人として信用ならん
ということだ。
商売人として信頼されるには、
無期限繰り返しゲームのなかで
評判を勝ち取る戦略を採っていることを
皆に知ってもらわないといけない。

このように、大福長者の教えは、
最初の第1条と最後の第5条が結びついて話が閉じる。
まことによくできた教えである。

しかし、正直者は得をする、という大福長者の教えは、
いまだになかなか浸透していないように思える。
正直者は得をするという思想の系譜については
別途書きたいと思う。

商人のジレンマ

1940年にロンドンで生まれたケン少年は、
商店主が代金を受け取って商品を引き渡すことを
不思議に思っていた。
商店主が代金をそのままポケットにしまうだけで
商品を引き渡さない、
ということをしないのは何故なのか?

ケン少年はやがて数学者になりゲーム理論を研究する。
この少年時代の疑問をケン・ビンモアが回想して
著書に記したの七十才近くになってからだ(Binmore 2007)。
このケン少年の疑問こそ、
経済学者が長年気付きそうで気付かなかった大問題なのだ。

一回限りの交換は成立しない

あなたが誰かと物を交換する。
自分の持ち物も大事だが、
それより相手の持ち物を手に入れたほうが得をする。
相手も同じで、
自分の物よりあなたの物が欲しい。
持ち物を交換すればお互いに得をする。
ウィン&ウィンだ。

相手に会うのはこれ一回きりとしよう。
一回限りということは
お互いに匿名で覆面しているようなものだ。
この状況で、持ち物を交換できるか?

経済学では対立する二通りの考え方がある。
簡単に交換できるという伝統的な考え方と、
絶対に交換できないという新しい考え方だ。

良識的に考えれば問題なく交換できそうだ。
交換して互いに得するなら、
交換を約束して互いに自分の物を相手に渡せばいい。
人には生まれつき交換性向があるとアダム・スミスは述べた。
それ以来の伝統のためか、
普通の経済学は簡単に交換できることを前提にして話を進める。

しかしよく考えてみよう。相手は善人なのか?
匿名覆面の相手は信用ならない。
相手はあなたを裏切るかもしれない。
あなたの渡した物を受け取っておきながら、
自分の物を渡さずに手元に残せば、相手は得をする。
相手が本当に利己的で合理的ならば、必ずあなたを裏切る。
裏切られるぐらいなら、こちらも渡さないほうが得だ。
相手も同じように考えるだろう。

あなた自身が人を裏切るような小悪党ではないとしても、
相手が信じてくれなければしかたがない。
裏切れば得をするのだから相手の裏切りを疑うのが合理的だ。
互いに裏切りを疑えば、互いに持ち物を渡さない。
交換できない、という結果に陥る。
互いに協力すれば良い結果になることは分かっていても、
互いに裏切られるのを疑って、協力できない均衡に陥る。
これは非協力ゲーム理論でいう囚人のジレンマそのものだ。

囚人のジレンマという言葉の感じからすると、
取り調べ室のような状況を想像してしまい、
通常の経済活動とは無縁のもののように思えるかも知れない。
本当は、交換という基本的な経済活動に当てはまるジレンマだ。

単なる交換が囚人のジレンマの状況にあるということが
指摘されるようになったのは、かなり最近のことのようで、
私の探した限りでは青木(2000)が最初だ。
だから、この事実に気付いている経済学者はまだ少ない。

渡すタイミングをずらしても取引不成立

一回限りの交換は成立しないという見方に疑問を抱く人は、
二人が同時に渡そうとするから駄目なのであって、
一方が先に渡して他方が後で渡すという約束を結べば、
うまく取引が成立するのではないか、
と考えるかもしれない。
しかしタイミングをずらしても取引は成立しない。

取引が成立しないわけは次の通りだ。
先手の立場になって考えてみよう。
先に渡しても後手が渡し返してくれる保証はない。
後手が利己的ならば貰うだけ貰って自分は渡さずに済ますだろう。
先手は渡すだけ損だから、渡さないのが得策だ。
先手が渡さないので後手も渡さない。

では、何かの手違い先手が渡したら後手はどうするか。
後手は貰いっぱなしで自分は相手に渡さぬほうが得だ。
後手が合理的ならは渡さない。やはり取引は成立しない。

これはゲーム理論で信頼ゲームと呼ばれる(Binmore 2004)。
一方的囚人のジレンマとも呼ばれる(Greif 2005)。
進化ゲームでは直接互恵と呼ばれるようだ(Nowak 2006)。
どの呼び名にせよ、一回限りであれば取引は不成立で終わる。

囚人のジレンマと信頼ゲーム(一方的囚人のジレンマ)を
ひっくるめて商人のジレンマと呼びたいと思う。
私独自の用語法なので商標登録したい(かも)。

ここでの結論は、
商人のジレンマにおいて一回限りの取引は成立しない、
絶対に。ということだ。

評判の役割

路地裏で覆面をした人物が物を売っていたらあなたは買うか?
買わないだろう。
怪しげな覆面の人物は裏切っても失うものはない。
裏切るに違いない。
だからあなたは買わない。

同じようにインターネット上で
完全な匿名の人が物を売っていたらあなたは買うか?
やはり買わないだろう。
少なくとも、相手が完全匿名ではなく、
たとえばオークションサイトに登録していて、
それなりに善良な取引履歴が記録されていて
初めて購入を検討するのではないか。

鍵となるのは評判(レピュテーション)だ。

取引の合意を裏切ったら悪い評判が立ち、
悪い評判が立てば今後の取引機会を失い、
取引を失えば不利益を受けるとなれば、
相手は不利益を恐れて裏切らないに違いない。
互いにそのことを知っていれば取引を履行するだろう。
これで取引成立だ。

ここで取引を正直に履行するのは、
道徳観念に導かれた善き行いなどでは全然なく、
あくまで利に釣られた合理的行動である点に注意しよう。

評判を持つには少なくとも名前が付いていないといけない。
評判は名前に憑くからだ。
オークションサイトの参加者には
ハンドル名にしろ何にしろ名前が付いている。
ハンドル名と実名との関連は運営会社が管理している。
決して匿名ではない。

そもそも名前というのは、
その場にいない人の評判を噂するためのものだ。
人類が発明した社会ツールなのだ。

同時に引き渡す交換の場合、
双方が名前を持っていないといけない。
どちらかが匿名では、匿名者が裏切る。
そのように相手が疑うので交換は不成立に終わる。

では、先ほどみた
信頼ゲーム(一方的囚人のジレンマ)
の場合はどうか。

信頼ゲームでは引き渡すタイミングをずらす。
後から渡す後手には名前が必須だが、
先に渡す先手は匿名で構わない。
そのわけは、後手がきちんと引き渡すという評判さえあれば、
先手に評判がなくても、
先手が後手の評判を知っていて、
先に物を引き渡しさえすれば、
両者の間で取引は成立するからだ。

信頼ゲームでいう信頼とは、
後手が信頼できるかどうかが問われるという意味だ。
後手は評判を保つことで利益を受ける。
そのことを先手が知っていれば、
先手は後手を信頼する。
後手は裏切ったら評判を失う。

現実を考えても、匿名は先手だ。
匿名の買い手は先に代金を払ってから店を出ることを許される。
匿名なのに「後で払いますから」と言って
店を出ていくことはあり得ない。

先手が匿名であってもいいが、
後手は匿名であっては取引は成立しない。
匿名の後手は貰いっぱなしで逃げてしまえば得するだろう
と先手が疑うので取引にならないからだ。
現実の小売り取引でも、たとえ買い手が匿名であっても、
売り手は何らかの評判を持っていのが普通だ。

無期限でなければ取引は成立しない

取引当事者の少なくとも一方が評判を持てば、
取引が成立する可能性が開かれる。

しかし、もし取引機会に決まった最終回があるとすると、
それ以前の全期間で取引が成立しなくなる。
このことを示すには少々長くなるが、つきあって読んで欲しい。

まず、次のように考えよう。
ある取引において評判を要する側が
今後誰とも取引する機会を持たない場合、
その取引は成立しない。そのわけは、
評判は今後の取引機会を失わないためにあるからだ。
取引機会がこの取引が最後だとすると、
今後ということはないのだから、
この取引で裏切って評判を失っても
取引機会を失うことはない。
裏切らない動機がなくなる。
むしろ裏切ることで利益を得る。
少なくとも相手は裏切られると予想する。
したがって取引機会の最終回では取引は成立しない。

さらに、
最終回の直前でもやはり取引は成立しない、
ということを示そう。
最終回では取引は成立しないことは先に見た。
その直前ではどうか。
次の取引機会である最終回では取引が成立しない
と取引当事者は予想する。
すると今約束を守って評判を保っても
最終回に取引が可能になるわけではない。
評判を失っても失うものはない。
裏切らない動機はない。
むしろ裏切ることで今利益を得る。
少なくとも相手は裏切られると予想する。
したがって最後回の直前でも取引は成立しない。

直前の直前も同じ理由で取引は成立しない。
このお話を一つづ手前に適用していくと
全期間で取引が成立しない。
こういうロジックを
後ろ向き帰納法(バックワード・インダクション)
という。
ゲーム理論で使われるロジックだ。

決まった最終回があると、後ろ向き帰納法の呪いにより、
最終回のの手前の全期間で取引が成立しなくなる。
したがって、
取引が成立するには決まった最終回があってはならない。

決まった最終回のないゲームを、
無期限繰り返しゲームという。
取引は無期限繰り返しゲームでないと成立しないのだ。

このように無期限繰り返しゲームの中で生まれる均衡を
ビンモアは創発現象と呼んでいる(Binmore 2004,2007)。
取引は創発現象なのだ。

ビンモアのいう創発現象は、
こうした個々の取引だけではない。
よくよく考えると、
マネーや企業や国家や法といった文明社会的な存在は
何でもかんでも創発現象である。
つまり無限繰り返しゲームの中でないと生まれない。
この点は話が拡散するから別の機会に譲ろう。

長くなったが、結論は、
あらゆる取引は、
無期限繰り返しゲームの中でしか
成立しない
ということだ。

まとめ

というわけで
我々が日常何気なしに買い物できるのも
無期限繰り返しゲームの中で
評判を気にする売り手が存在しているからだ。

少し長くなったが、ビンモアの少年時代の疑問はこうして解ける。

参考文献

  • Binmore,K.(2004) “Reciprocity and the social contract,” politics,philosophy & economics.
  • Binmore,K.(2007) Game Theory: A Very Short Introduction. 金澤悠介・海野道郎訳『ゲーム理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)』2010年
  • Greif,A.(2005) Institutions and the Path to the Modern History. 岡崎哲二・神取道宏監訳『比較歴史制度分析』2009年
  • Nowak,M.(2006)”Five rules for the evolution of cooperation,” Science.
  • 青木昌彦 (2000)「財取引、契約、市場の私的秩序ガバナンス」『比較制度分析に向けて』第3章

ビンモア『ゲーム理論』の原書pdfが消えた

ビンモア『ゲーム理論』(amazon)の原書がMITの公式サイト
http://web.mit.edu/rezy_p/Public/Notes/AVeryShortIntroduction-GameTheory.pdf
からpdf形式で無料配布されていたのですが、いつの間にか
MIT 404 Error – file not found
になっちゃってダウンロードできなくなっています。削除されたのか他のurlに引っ越したのか。

そもそも無料公開されてたのが何かの手違いだった気もなきにしもあらず。
ダウンロードしておいて良かった。

pdfファイル御所望の方はメアドをゴニョゴニョ(以下省略)