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マネーはバブルか論争

2012年10月、経済学ブログ界で、マネーがバブルか否かについて論争が巻き起こった。

論争の流れは、ノア・スミスが自らの視点でブログ記事でフォローアップしている。論争に参戦したブログ記事のリンクは下記の一覧を参照してほしい。

だいたいこういう流れだ。

  • まず20日に、ウィリアムソンがクルーグマンを批判する文脈で「マネーはバブルだよね」と語ったのが始まりだった。
  • 21日、ノア・スミスというエコノミストが「バブルじゃないよ。マネーがバブルと言い出したら殆どの金融資産は全てバブルになってしまう。」と批判した。このノア・スミスが誰だか知らないが、日本に住んでいたこともある自称オタクらしい。
  • 22日、クルーグマンも参戦して「バブルという呼称はよろしくない。サミュエルソン流にいえばマネーは社会的工夫だ」と、言葉の定義で話を逸らした。この日にはウィリアムソンが直ちに反論したほか様々な人々が各自のブログで意見を述べて、かなり盛り上がった。
  • その後も意見は続き25日にウィリアムソンが意見を述べて論争は終結した。

ウィリアムソンの定義によると、キャッシュフローの割引現在価値をファンダメンタル価値(FV)と呼び、資産価格がFVからズレる分がバブルである。マネーはFVがゼロだから純粋なバブルである、というのがウィリアムソンの見解だ。バブル研として思うに、この手の一面的なバブル観が論争の火種となったようだ。

ノア・スミスは、金融資産のキャッシュフローはマネーで測られるから、ウィリアムソンの定義に従えば、金融資産のFVはマネーで測られ、マネーのFVがゼロなら金融資産のFVもゼロということになる。ウィリアムソンの定義はおかしい、というのがノア・スミスの批判だ。

クルーグマンは、おそらくウィリアムソンの定義を認めたうえで、バブルという呼称は、非合理的バブル(根拠なき熱狂)を想起させるのでよろしくない。バブルでなく、サミュエルソンが世代重複の論文で言ったように社会的工夫と呼ぶべきだ、と言った。

他の論者で目につくのは、チロルによるバブルの定義に言及するものだ。チロルは、サミュエルソンが世代重複モデルで社会的工夫と呼んだものをバブルと呼ぶ。この定義ではマネーはバブルだ。ウィリアムソン流のバブルの定義とは違う。ウィリアムソンの定義は、キャッシュフローや割引因子を所与とする一面的な定義である。すこし突っ込まれるとボロがでる。チロルの定義は、経済全体の動きを考慮したうえでバブルを定義しており、定義として頑健である。
ノア・スミスは、コメント欄でチロルの議論を指摘されると、「チロルは間違っていると思う」と述べているが、チロルのどこを間違っていると考えているのか説明がないので、意味不明である。

バブル研としての考えを述べてば次の通りだ。
当バブル経済研究所でいうところのバブルは、チロルと同じ意味だ。キャッシュフローの割引現在価値を云々するウィリアムソン流バブルは、定義が不十分でありミスリードを招くので宜しくない。クルーグマンはバブルじゃなくて社会的工夫と呼ぼうよと言ったが、社会的工夫と呼ぶほどマネーをコントロールできているわけではない。マネーに振り回されている現代において、社会的工夫と呼ぶのはミスリードだ。バブルという言葉がどうしても嫌だったら、クルーグマンお得意の創発現象とでも呼べばいい。

マネーはバブルか論争/ブログ記事一覧

ニューマネタリスト

ニューマネタリストという学派が存在します。ふつうは学派なんてものは外から貼るレッテルだったりするので本当に実在するのか怪しいものですが、ニューマネタリストの場合は学派を自称しているから本当に実在するといっていいでしょう。

ニューマネタリストは、ミネアポリス連銀を中心とした米国地区連銀やその周辺の大学を拠点に地道に活動しているようです。地区連銀は箔をつけるためにシニョレッジのおこぼれをバラ撒いて学者をスタッフとして雇ったりしているのですが、ニューマネタリストというのもその一種のようです。

主唱者の一人であるウィリアムソンは、ニューマネタリストと題する自身のブログで「マネーはバブルなり!」と述べて物議をかもしたりする人なので、我がバブル経済研究所としては見逃せません。なお、我がバブル経済研究所はバブリオニストという学派でありまして、ニューマネタリストとは違います。

ニューマネタリストを学派として立ち上げる際にウィリアムソンたちは「ニューマネタリスト経済学」と題する論文を二本発表しました。そのうち一本目の論文について、要約とイントロ部分だけを翻訳したのが本記事です。これを読めばニューマネタリストとは何なのか分かると思います。

原文のスタッフレポート版のPDFはこちら↓
http://www.minneapolisfed.org/research/sr/sr442.pdf
最終的にセントルイス連銀のレビューに掲載されました。

では始まり始まり~


ミネアポリス連邦銀行
調査局スタッフレポート442
2010年4月

ニューマネタリスト経済学:方法

ステファン・ウィリアムソン

セントルイス・ワシントン大学
リッチモンド連邦銀行とセントルイス連邦銀行

ランダル・ライト

ウィスコンシン大学マディソン校
ミネアポリス連邦銀行とフィラデルフィア連邦銀行

〔要旨とイントロのみ訳出〕

要旨

本論はニューマネタリズムの原理と実践を明示する。ニューマネタリズムとは、マネーや銀行業務や支払や資産市場に関する最近の研究の主要部分について我々が貼ったラベルである。最初に、我々のアプローチと他を区別する方法論的な問題を検討する。ニューマネタリズムはオールドマネタリズムと共通するものがあるが、重要な違いもある。ケインジアニズムとは共通するところが殆どない。各学派の原理を解説して、我々のアプローチと比較する。ニューマネタリスト・モデルが実際にどのように動くか示すために、ベンチマーク・モデルをつくって、インフレのコストや流動性や資産取引などの諸問題を検討する。銀行業務の新しいモデルも開発する。

1.イントロ

本論の目的は、ニューマネタリスト経済学という学派の原理と実践を明示することである。姉妹編である Williamson and Wright (2010) は、この文脈で使われるモデルを更にサーベイし、専ら技術的な論点に専ら着目しており、方法論や思想史を扱っていない。
同論文では我々のアプローチが実際に動く様子を示すために若干の技術的な資料を発表するが、本論では、より詳しくニューマネタリズムの定義について議論したい。
今やこの分野に大量の研究があるが、おそらく、これにラベルをつけることは説明に値する。
オールド・マネタリスト経済学は、ミルトン・フリードマンとその後継者の著作に集約されるが、我々はオールドマネタリストと重要な方向性で一致しないので、ニューマネタリストを自称する。
我々は新旧ケインジアンとは殆ど共通点がない。その理由は、マネー経済学へのアプローチの点、マクロ経済学のミクロ的基礎の点、名目硬直性が歪みの鍵であると信じて関心を集中する点、が挙げられる。
以下では、より詳しく、学派の原理について述べて、アプローチを区別したい。

そうする理由の一つは次の通り。オールドケインジアニズムの古き良き時代でさえ、オールドマネタリストが反対の見解を示したのは健全であったと思う。
少なくとも当時の人々への警告と解釈できる。
当時の人々は、マクロとマネーの経済学を解決済みの問題と考えていたが、それは後になって思うと早まった考えであったのは明らかだ。
人々が問題が解決されると思ったという主張は文書で十分に裏付けらる。 Leijonhufvud (1968) の引用によると、ソロウは次のような気持ちを語った。

大部分の経済学者は、短期マクロ経済理論が殆ど手に入っていると感じていると思う。…優勢な理論の基本的な枠組みは、何年も変わらなかった。残るは空箱を満たす些末な仕事でしかない。それは最大限努力して五十年もかからないだろう。

少なくとも最近の出来事〔金融危機〕の前は、ニューケインジアン・コンセンサスがあったというのが多数意見だったようだ。そして、1960年代と同じように楽天的だった。
現在ニューケインジアニズムに代わるものがあると多くの人々が認めるならば、より健全だろう。
我々は、代わりにニューマネタリズムを称する。

「『ニューケインジアニズムはマクロ経済現象を分析するのに最も役に立つアプローチであって中央銀行の政策を導く』と考えるのは少なくとも政策を指向する経済学者の間でコンセンサスである」と人々は感じている。その証拠は多くの場所で見つかる(例えば Goodfriend 2007 参照)。
これが少々驚くべきことだ。ニューケインジアン・フレームワークに根本的な欠陥があるという見方に共感する者も多い。
それから、我々はニューケインジアニズムが巷で唯一のゲームでないと思い、また、アプローチの仕方を議論する意義があると思う。このように思う者が、十分に力強く明快に意見を述べていないことも事実である。
一つに、本論は、今の状況の改善と、より好ましい議論の促進を試みる。
我々が想い描くニューマネタリストとニューケインジアンの関係は、1960年代と1970年代における議論と類似する点があるが、それ以来経済学で方法と言語の多くが変わったから当時とは違う点もある。
対話を21世紀に持ってくるには、ニューマネタリストが何をしているか、そして何故そうするのかについて述べる必要がある。

ニューマネタリストは、ここ数十年間で開発された、マネーの理論と政策、銀行業務、金融仲介、支払い、資産市場の研究の全体を含む。
マネー経済学は、世代重複モデルを使った Lucas (1972)や Kareken and Wallace (1980)所載論文のような影響力のある業績を含む。これには、もちろん Samuelson (1958)という先例が存在する。
最近では、多くのマネー理論がサーチとマッチングのアプローチを採用している。初期の例は Kiyotaki and Wright (1989)の例があるが、これにも先例として、Jones (1976) や Diamond (1984)がある。
銀行業務と金融仲介と支払いの経済学は、主に1970年代で起こった情報理論の進歩を基にしている。Diamond and Dybvig (1983)、Diamond (1984)、 Williamson (1986 and 1987a)、 Bernanke and Gertler (1989)、 Freeman (1996)のような論文がある。
資産市場とファイナンスに関しては、Duffie, Gârleanu, and Pederson (2005) や Lagos and Rocheteau (2009)といった仕事がある。
この研究の多くは抽象的で理論的だが、最近は経験的で政策的な論点に関心が向いている。

この仕事を統一するものを説明するために、第1節で、我々が他の学派の特徴を何とみなすかについて説明し、ニューマネタリストは何が違うのかを述べる。
それから、我々のアプローチを導く原理を宣言する。
ニューマネタリストはおよそ次のことに同意すると思う。

原理1。ミクロ的基礎が重要だ。そして、政策議論を含むマクロとマネーの経済学の建設的な分析は、内部的に一貫した健全な経済理論にこだわる必要がある。

原理2。マネーが重要だ。そして、マネー現象と金融政策を理解するための探求において、マネーの役割を生み出す摩擦を最初に明示するモデルを使うのが決定的によい。Wallace (1998) 曰く「マネー経済学においてマネーが原始的であってはいけない。

原理3。金融仲介が重要だ。例えば、銀行負債と通貨は交換媒介物としての似し役割を果たすことがある。銀行負債と通貨を別々に扱うと、多くの論点で道を誤りかねない。

原理4。マネーや金融仲介機関の役割を引き起こす摩擦をモデル化する際に、抽象性と扱いやすさの適切なレベルを見極めなければならない。例えば世代重複モデルにおいて人々が2期間生きるといった設定や、サーチモデルにおいて人々が全くランダムに出会うといった設定は、非現実的かもしれないが無駄なものではない。

原理5。一つのモデルがマネー経済学の全問題を扱う汎用車両であってはならないが、様々な問題に適用される、似たような仮定と技術装置を使用するフレームワークやモデルの類があることは望ましい。

これらの原理が全て広く受け入れられるわけではないことは明らかだ。
原理2(マネーが重要だ)を考えよう。金融政策分析に使われる近頃流行のモデルでは、マネーも銀行も金融機関もないので、原理2は守られない。マネーを考慮する場合は、事前現金制約を仮定したり、効用関数や生産関数にマネーを入れて誤魔化す。国債や銀行準備金を生産関数や効用関数に入れることすらある。
たとえ、これらの原理の一部が大部分の経済学者に受け入れられても、それは程度の問題だ。
原理4(適切な抽象化)を考えよう。役に立つ経済モデルが必ずしも現実的であるわけではないと誰もが教わる。しかし、世代重複やマネーサーチのモデルが、主に現実性の欠如の点で厳しく批判されることがある。また、原理1(ミクロ的基礎が重要だ)を決まり文句にして欲しくない。ニューマネタリストが真剣に思うように、少なくとも口先では誰もが健全で一貫した経済理論を望む。
今は唯一の例というわけではないが、いわゆる物価水準の財政理論を考えよう。
物価水準の財政理論は、均衡で起こること以外は何も意味を持たないモデルなのに、均衡から外れることに依存している。こういう事実にもかかわらず、ニューケインジアンは物価水準の財政理論を面白がる。これは、とてもニューマネタリストをあきれさせるものだ。

ニューマネタリストが経済理論の健全性と一貫性に関して懸念する明白な例は、ケインジアンの全体系が粘着価格に依存していることだ。粘着価格がカルボの価格設定(Calvo 1983)やマンキューのメニューコスト(Mankiw 1985)に基づく場合でも、我々は粘着価格をミクロ的基礎とは思わない。
名目粘着性のメリットやデメリットに関する議論にやり過ぎということはないが、留保も言い訳もしないで粘着性を採用する経済学者が少なくない。みんなの考えを簡単に変えることはできないということだ。
しかし、Williamson and Wright (2010) で我々は、この論点に関する二つのニューマネタリスト・モデルを思考材料として提供する。

一つは、Woodford (2003) や Clarida, Gali, and Gertler (1999) に見られるような価格粘着性を敢えて我々のフレームワークに適用する。たとえ名目粘着性が不可欠だとしても、マネーや銀行業務や金融機関に関して真剣でないわけでないことを示すという目的がある。もう一つのモデルは、名目粘着性を単に仮定するではなく、名目粘着性が結果として生じるようにサーチ理論を使用する。
多くの価格が粘着的に見えるという幅広い観察だけでなく、Klenow and Malin (forthcoming) とその引用で述べられる詳細なミクロ的な証拠とも、このモデルは一致している。
それでも、ニューケインジアンとかなり異なる政策の処方が得られる。つまりマネーは中立である。
我々は後で問題の一部に戻る。しかし、ここでのポイントは、粘着価格だからといって、論理的に必ずしも非中立性の結果が得られたり、ケインジアン政策を支持する結果が得られたりするわけではない、ということだ。

本稿の構成は、以下の通りである。
第2節では、ニューマネタリストに関する詳細と、他のアプローチとの違いについて展開する。
第3節では、前述の原理5の精神において、Lagos and Wright(2005)に基づく非常に扱いやすいニューマネタリスト・ベンチマーク・モデルを展開する。
仮定の裏側にあるものや、マネーは中立であるが超中立でないかもしれないという特性や、フリードマン・ルールは最適であるが最善でないかもしれないという特性を説明する。
第4節で、基本的なモデルについて、先行研究にみられるような拡張をいくつか検討する。
それから、これらのモデルで、資産市場や銀行業務や金融政策に関する問題にどのように対処できるのか述べる。
第5節では、我々はマネーと株式のモデルを構築して、資産価格設定、資産取引と流動性プレミアへの意味合いを、金融政策からの影響を含めて検討する。
第6節は、このモデルが銀行業務を含むように拡張する。これにより、金融仲介が厚生を改善する様子を示し、また、金利に対する金融政策の影響に関して新しい結果を引き出す。
ニューマネタリズムがオールドマネタリズムと異なる点を一つ例示する。100パーセントの預金準備を求めるフリードマンの提案は、このモデルでは金融仲介からの厚生増加を排除するので、間違った考えだ。これは前述の原理3を例証する。
第7節で結びである。

そして、本稿や Williamson and Wright (2010) で示される例がニューマネタリスト・アプローチの有用性を示すると思う。
読者に評価してもらうため、すべての例で使われるモデルは一貫した経済原理に基づいている。
これが、交換過程における通貨の役割を定式化するのに用いられる最も単純なセットアップであり、銀行業務や信用仲介や支払システムや資産市場を取り入れた拡張であることは事実だ。
これが理論の点で面白いだけでなく、現在の経済状況を理解して、将来の政策を形成するために学ばれる教訓でもある。
最近の危機には、根本的に、銀行業務やモーゲージその他の信用取引や資産市場の情報問題に関連した問題がある。そうである限り、交換過程を真面目に捉える理論なしに問題に立ち向かうことはできない。
交換過程を研究すること、それこそがニューマネタリストだからだ。
ニューケインジアンは少々目覚ましい成功をおさめたが、おそらく、特に政策担当者を説得する際に、すべての経済問題が名目硬直性に起因するとは思っていない。
そして、 Krugman (2009) のような復古派の見方のように、すべての興味深い質問に対する答えがオールド・ケインジアンの交叉〔45度線図やIS-LM分析〕にかかっているとも思わない。
このアプローチが研究者や政策担当者に代替案を与えると思う。引き続き我々の立場を詳しく述べたいと思う。

〔第二章以下省略〕

〔以下の参考文献はイントロで言及しているものだけコピペ〕

  • Calvo, Guillermo. “Staggered Prices in a Utility-Maximizing Framework.” Journal of Monetary Economics, September 1983, 12(3), pp. 383-98.
  • Clarida, Richard; Gali, Jordi and Gertler, Mark. “The Science of Monetary Policy: A New Keynesian Perspective.” Journal of Economic Literature, December 1999, 37(4), pp. 1661-707.
  • Diamond, Douglas. “Financial Intermediation and Delegated Monitoring.” Review of Economic Studies, July 1984, 51(166), pp. 393-414
  • Diamond, Douglas and Dybvig, Philip. “Bank Runs, Deposit Insurance, and Liquidity.” Journal of Political Economy, June 1983, 91(3), pp. 401-19.
  • Diamond, Peter. “Money in Search Equilibrium.” Econometrica, January 1984, 52(1), pp. 1-20.
  • Duffie, Darrell; Gârleanu, Nicolae and Pederson, Lasse H. “Over-the-Counter Markets.” Econometrica, November 2005, 73(6), pp. 1815-47
  • Freeman, Scott J. “The Payments System, Liquidity, and Rediscounting.” American Economic Review, December 1996, 86(5), pp. 1126-38.
  • Goodfriend, Marvin. “How the World Achieved Consensus on Monetary Policy.” Journal of Economic Perspectives, Fall 2007, 21(4), pp. 47-68.
  • Jones, Robert A. “The Origin and Development of Media of Exchange.” Journal of Political Economy, August
    1976, 84(4), pp. 757-75.
  • Kareken, John H. and Wallace, Neil. Models of Monetary Economies. Minneapolis: Federal Reserve Bank of Minneapolis, 1980.
  • Kiyotaki, Nobuhiro and Wright, Randall. “On Money as a Medium of Exchange.” Journal of Political Economy, August 1989, 97(4), pp. 927-54.
  • Klenow, Peter and Malin, Benjamin A. “Microeconomic Evidence on Price-Setting,” in Handbook of Monetary Economics. Volume 3A. (forthcoming).
  • Krugman, Paul. “How Did Economists Get It So Wrong?” New York Times Magazine, September 2, 2009
  • Lagos, Ricardo and Rocheteau, Guillaume. “Liquidity in Asset Markets with Search Frictions.” Econometrica, March 2009, 77(2), pp. 403-26.
  • Lagos, Ricardo and Wright, Randall. “A Unified Framework for Monetary Theory and Policy Analysis.” Journal of Political Economy, June 2005, 113(3), pp. 463-84.
    Leijonhufvud, Axel. On Keynesian Economics and the Economics of Keynes: A Study in Monetary Theory. London: Oxford University Press, 1968.
  • Lucas, Robert E. “Expectations and the Neutrality of Money.” Journal of Economic Theory, April 1972, 4(2), pp. 103-24.Mankiw, N. Gregory. “Small Menu Costs and Large Business Cycles: A Macroeconomic Model.” Quarterly Journal of Economics, May 1985, 100(2), pp. 529-38.
  • Samuelson, Paul A. “An Exact Consumption-Loan Model With or Without the Social Contrivance of Money.” Journal of Political Economy, 1958, 66(6), pp. 467-82.
  • Wallace, Neil. “A Dictum for Monetary Theory.” Federal Reserve Bank of Minneapolis Quarterly Review, Winter 1998, 22(1), pp. 20-26.
  • Williamson, Stephen. “Costly Monitoring, Financial Intermediation, and Equilibrium Credit Rationing.” Journal of Monetary Economics, September 1986, 18(2), pp. 159-79.
  • Williamson, Stephen. “Financial Intermediation, Business Failures, and Real Business Cycles.” Journal of Political Economy, December 1987a, 95(6), pp. 1196-216.
  • Williamson, Stephen and Wright, Randall. “New Monetarist Economics: Models,” 2010 in Benjamin Friedman and Michael Woodford, eds., Handbook of Monetary Economics. Volume 3A.
  • Woodford, Michael. Interest and Prices: Foundations of a Theory of Monetary Policy. Princeton, NJ: Princeton University Press, 2003.