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商人のジレンマ

1940年にロンドンで生まれたケン少年は、
商店主が代金を受け取って商品を引き渡すことを
不思議に思っていた。
商店主が代金をそのままポケットにしまうだけで
商品を引き渡さない、
ということをしないのは何故なのか?

ケン少年はやがて数学者になりゲーム理論を研究する。
この少年時代の疑問をケン・ビンモアが回想して
著書に記したの七十才近くになってからだ(Binmore 2007)。
このケン少年の疑問こそ、
経済学者が長年気付きそうで気付かなかった大問題なのだ。

一回限りの交換は成立しない

あなたが誰かと物を交換する。
自分の持ち物も大事だが、
それより相手の持ち物を手に入れたほうが得をする。
相手も同じで、
自分の物よりあなたの物が欲しい。
持ち物を交換すればお互いに得をする。
ウィン&ウィンだ。

相手に会うのはこれ一回きりとしよう。
一回限りということは
お互いに匿名で覆面しているようなものだ。
この状況で、持ち物を交換できるか?

経済学では対立する二通りの考え方がある。
簡単に交換できるという伝統的な考え方と、
絶対に交換できないという新しい考え方だ。

良識的に考えれば問題なく交換できそうだ。
交換して互いに得するなら、
交換を約束して互いに自分の物を相手に渡せばいい。
人には生まれつき交換性向があるとアダム・スミスは述べた。
それ以来の伝統のためか、
普通の経済学は簡単に交換できることを前提にして話を進める。

しかしよく考えてみよう。相手は善人なのか?
匿名覆面の相手は信用ならない。
相手はあなたを裏切るかもしれない。
あなたの渡した物を受け取っておきながら、
自分の物を渡さずに手元に残せば、相手は得をする。
相手が本当に利己的で合理的ならば、必ずあなたを裏切る。
裏切られるぐらいなら、こちらも渡さないほうが得だ。
相手も同じように考えるだろう。

あなた自身が人を裏切るような小悪党ではないとしても、
相手が信じてくれなければしかたがない。
裏切れば得をするのだから相手の裏切りを疑うのが合理的だ。
互いに裏切りを疑えば、互いに持ち物を渡さない。
交換できない、という結果に陥る。
互いに協力すれば良い結果になることは分かっていても、
互いに裏切られるのを疑って、協力できない均衡に陥る。
これは非協力ゲーム理論でいう囚人のジレンマそのものだ。

囚人のジレンマという言葉の感じからすると、
取り調べ室のような状況を想像してしまい、
通常の経済活動とは無縁のもののように思えるかも知れない。
本当は、交換という基本的な経済活動に当てはまるジレンマだ。

単なる交換が囚人のジレンマの状況にあるということが
指摘されるようになったのは、かなり最近のことのようで、
私の探した限りでは青木(2000)が最初だ。
だから、この事実に気付いている経済学者はまだ少ない。

渡すタイミングをずらしても取引不成立

一回限りの交換は成立しないという見方に疑問を抱く人は、
二人が同時に渡そうとするから駄目なのであって、
一方が先に渡して他方が後で渡すという約束を結べば、
うまく取引が成立するのではないか、
と考えるかもしれない。
しかしタイミングをずらしても取引は成立しない。

取引が成立しないわけは次の通りだ。
先手の立場になって考えてみよう。
先に渡しても後手が渡し返してくれる保証はない。
後手が利己的ならば貰うだけ貰って自分は渡さずに済ますだろう。
先手は渡すだけ損だから、渡さないのが得策だ。
先手が渡さないので後手も渡さない。

では、何かの手違い先手が渡したら後手はどうするか。
後手は貰いっぱなしで自分は相手に渡さぬほうが得だ。
後手が合理的ならは渡さない。やはり取引は成立しない。

これはゲーム理論で信頼ゲームと呼ばれる(Binmore 2004)。
一方的囚人のジレンマとも呼ばれる(Greif 2005)。
進化ゲームでは直接互恵と呼ばれるようだ(Nowak 2006)。
どの呼び名にせよ、一回限りであれば取引は不成立で終わる。

囚人のジレンマと信頼ゲーム(一方的囚人のジレンマ)を
ひっくるめて商人のジレンマと呼びたいと思う。
私独自の用語法なので商標登録したい(かも)。

ここでの結論は、
商人のジレンマにおいて一回限りの取引は成立しない、
絶対に。ということだ。

評判の役割

路地裏で覆面をした人物が物を売っていたらあなたは買うか?
買わないだろう。
怪しげな覆面の人物は裏切っても失うものはない。
裏切るに違いない。
だからあなたは買わない。

同じようにインターネット上で
完全な匿名の人が物を売っていたらあなたは買うか?
やはり買わないだろう。
少なくとも、相手が完全匿名ではなく、
たとえばオークションサイトに登録していて、
それなりに善良な取引履歴が記録されていて
初めて購入を検討するのではないか。

鍵となるのは評判(レピュテーション)だ。

取引の合意を裏切ったら悪い評判が立ち、
悪い評判が立てば今後の取引機会を失い、
取引を失えば不利益を受けるとなれば、
相手は不利益を恐れて裏切らないに違いない。
互いにそのことを知っていれば取引を履行するだろう。
これで取引成立だ。

ここで取引を正直に履行するのは、
道徳観念に導かれた善き行いなどでは全然なく、
あくまで利に釣られた合理的行動である点に注意しよう。

評判を持つには少なくとも名前が付いていないといけない。
評判は名前に憑くからだ。
オークションサイトの参加者には
ハンドル名にしろ何にしろ名前が付いている。
ハンドル名と実名との関連は運営会社が管理している。
決して匿名ではない。

そもそも名前というのは、
その場にいない人の評判を噂するためのものだ。
人類が発明した社会ツールなのだ。

同時に引き渡す交換の場合、
双方が名前を持っていないといけない。
どちらかが匿名では、匿名者が裏切る。
そのように相手が疑うので交換は不成立に終わる。

では、先ほどみた
信頼ゲーム(一方的囚人のジレンマ)
の場合はどうか。

信頼ゲームでは引き渡すタイミングをずらす。
後から渡す後手には名前が必須だが、
先に渡す先手は匿名で構わない。
そのわけは、後手がきちんと引き渡すという評判さえあれば、
先手に評判がなくても、
先手が後手の評判を知っていて、
先に物を引き渡しさえすれば、
両者の間で取引は成立するからだ。

信頼ゲームでいう信頼とは、
後手が信頼できるかどうかが問われるという意味だ。
後手は評判を保つことで利益を受ける。
そのことを先手が知っていれば、
先手は後手を信頼する。
後手は裏切ったら評判を失う。

現実を考えても、匿名は先手だ。
匿名の買い手は先に代金を払ってから店を出ることを許される。
匿名なのに「後で払いますから」と言って
店を出ていくことはあり得ない。

先手が匿名であってもいいが、
後手は匿名であっては取引は成立しない。
匿名の後手は貰いっぱなしで逃げてしまえば得するだろう
と先手が疑うので取引にならないからだ。
現実の小売り取引でも、たとえ買い手が匿名であっても、
売り手は何らかの評判を持っていのが普通だ。

無期限でなければ取引は成立しない

取引当事者の少なくとも一方が評判を持てば、
取引が成立する可能性が開かれる。

しかし、もし取引機会に決まった最終回があるとすると、
それ以前の全期間で取引が成立しなくなる。
このことを示すには少々長くなるが、つきあって読んで欲しい。

まず、次のように考えよう。
ある取引において評判を要する側が
今後誰とも取引する機会を持たない場合、
その取引は成立しない。そのわけは、
評判は今後の取引機会を失わないためにあるからだ。
取引機会がこの取引が最後だとすると、
今後ということはないのだから、
この取引で裏切って評判を失っても
取引機会を失うことはない。
裏切らない動機がなくなる。
むしろ裏切ることで利益を得る。
少なくとも相手は裏切られると予想する。
したがって取引機会の最終回では取引は成立しない。

さらに、
最終回の直前でもやはり取引は成立しない、
ということを示そう。
最終回では取引は成立しないことは先に見た。
その直前ではどうか。
次の取引機会である最終回では取引が成立しない
と取引当事者は予想する。
すると今約束を守って評判を保っても
最終回に取引が可能になるわけではない。
評判を失っても失うものはない。
裏切らない動機はない。
むしろ裏切ることで今利益を得る。
少なくとも相手は裏切られると予想する。
したがって最後回の直前でも取引は成立しない。

直前の直前も同じ理由で取引は成立しない。
このお話を一つづ手前に適用していくと
全期間で取引が成立しない。
こういうロジックを
後ろ向き帰納法(バックワード・インダクション)
という。
ゲーム理論で使われるロジックだ。

決まった最終回があると、後ろ向き帰納法の呪いにより、
最終回のの手前の全期間で取引が成立しなくなる。
したがって、
取引が成立するには決まった最終回があってはならない。

決まった最終回のないゲームを、
無期限繰り返しゲームという。
取引は無期限繰り返しゲームでないと成立しないのだ。

このように無期限繰り返しゲームの中で生まれる均衡を
ビンモアは創発現象と呼んでいる(Binmore 2004,2007)。
取引は創発現象なのだ。

ビンモアのいう創発現象は、
こうした個々の取引だけではない。
よくよく考えると、
マネーや企業や国家や法といった文明社会的な存在は
何でもかんでも創発現象である。
つまり無限繰り返しゲームの中でないと生まれない。
この点は話が拡散するから別の機会に譲ろう。

長くなったが、結論は、
あらゆる取引は、
無期限繰り返しゲームの中でしか
成立しない
ということだ。

まとめ

というわけで
我々が日常何気なしに買い物できるのも
無期限繰り返しゲームの中で
評判を気にする売り手が存在しているからだ。

少し長くなったが、ビンモアの少年時代の疑問はこうして解ける。

参考文献

  • Binmore,K.(2004) “Reciprocity and the social contract,” politics,philosophy & economics.
  • Binmore,K.(2007) Game Theory: A Very Short Introduction. 金澤悠介・海野道郎訳『ゲーム理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)』2010年
  • Greif,A.(2005) Institutions and the Path to the Modern History. 岡崎哲二・神取道宏監訳『比較歴史制度分析』2009年
  • Nowak,M.(2006)”Five rules for the evolution of cooperation,” Science.
  • 青木昌彦 (2000)「財取引、契約、市場の私的秩序ガバナンス」『比較制度分析に向けて』第3章

ビンモア『ゲーム理論』の原書pdfが消えた

ビンモア『ゲーム理論』(amazon)の原書がMITの公式サイト
http://web.mit.edu/rezy_p/Public/Notes/AVeryShortIntroduction-GameTheory.pdf
からpdf形式で無料配布されていたのですが、いつの間にか
MIT 404 Error – file not found
になっちゃってダウンロードできなくなっています。削除されたのか他のurlに引っ越したのか。

そもそも無料公開されてたのが何かの手違いだった気もなきにしもあらず。
ダウンロードしておいて良かった。

pdfファイル御所望の方はメアドをゴニョゴニョ(以下省略)

マネーは記憶です解説

Kocharlakota(1998)”Money is Memory”JETの解説論文を抄訳しました。

原典のPDFファイルはこちら↓
The Technological Role of Fiat Money

この解説論文はマネー基礎論の概説として、とっても優れていると思います。
著者のコチャラコタは今やミネアポリス連銀総裁でFOMCメンバーとして有名です。

〔このカギかっこ〕は原文にない、翻訳者による補記です。
しょうもない誤訳やタイポの類がありましたらコメント欄でご指摘いただけたらありがたく存じます。

では始まり始まり~。


ミネアポリス連邦銀行四季報 第22巻第3号、1998年夏、2-10頁

通貨の技術的役割

〔「マネーは記憶です」解説論文〕

ナラヤナ R. コチャラコタ

ミネアポリス連邦銀行 調査局 上級エコノミスト

〔2009年よりミネアポリス連邦銀行総裁〕

要約

経済における通貨の技術的役割は社会記憶として働くことにほかならない。マネーによって、人々は取引に関する情報を確実に記録し、その記録を他人に利用させることができる。こうした記録の役割は、通貨に関する三つの標準的パラダイムである世代重複モデル、ターンパイク・モデル、サーチ・モデルで示される。これらのモデルからマネーを取り除き、その代わりに取引履歴の公開記録を取り入れることによって、新しい経済を創り出すことができるならば、元のマネー的な配分もやはり均衡として達成できる。

本稿は著者の研究「マネーは記憶です」をやさしく解説した論文である。「マネーは記憶です」はジャーナル・オブ・エコノミック・セオリーに載る予定である。アカデミック・プレス社の許可により、本稿をミネアポリス連銀四季報に掲載する。

〔はじめに〕

想像して。〔ビートルズの〕ジョンとポールが会う。ジョンはリンゴを持ってるけど、バナナが欲しい。 ポールはリンゴが欲しいけど、バナナを持ってない。通貨経済では、ポールはジョンにマネーを払ってリンゴを買えばいい。そしてジョンは受け取ったマネーでバナナを買う。バナナを買う相手をジョージということにしよう。ジョンがポールにリンゴを売らなければ、ジョンはマネーを受け取れないので、ジョージからバナナを買えない。

このシナリオから分かることは、経済にマネーを導入すると財の配分パターンが増えるということだ。つまり、マネーの導入は鉄道の開発と同じように技術的なイノベーションなのだ。

しかし、鉄道と違ってマネー自体は役に立たない。では、実際にマネーはどんな仕組みで役に立つのか? 本当に役立つ財を再配分するという視点でみると、さっきのシナリオは、ジョンがポールにリンゴを贈り物をする場面として解釈できる。ポールにジョンがリンゴを贈るなら、ジョンにジョージはバナナを贈る。ジョンがリンゴを贈らなければ、ジョンにジョージはバナナを贈らない。ジョンがポールから受けとってジョージに渡すマネーは、ジョンが社会的義務を果たしてポールにリンゴを贈ったことをジョージに伝える手段にすぎない。

このように、マネー経済は、贈り物が連鎖する一大ネットワークにほかならない。もし人々が贈り物の全履歴を知っているなら、マネーによって達成される資源配分はマネーが無くても達成できる。ジョージは、ジョンの持つマネーの金額に応じて対応を変えるのと同じように、ジョンの贈与履歴に応じて対応を変えるだろう。

この分析から得られる結論を簡単にまとめると、もしマネーの働きを取引履歴の完全記録に置き替えられるなら、マネーの技術的な役割は取引履歴の記録の提供にほかならない、ということだ。言い換えると、マネーは記録保存の仕方の一つであり、社会の記憶である。

このことをフォーマルに論じるため、本文では、標準的な三つの通貨モデルとして、(1)世代重複モデル、(2)ターンパイク・モデル、(3)サーチ・モデルを考察する。これらの各モデルについて、そこからマネーを取り除き、全取引の履歴記録に置き換えることによって、新しい経済モデルを創り出す。取引履歴は誰もが知っていると仮定する。 人々は契約を強制する力を持たないと仮定する。各モデルについて、マネーによる配分が、完全な社会記憶によっても実現することを示す。マネーの技術的役割は、取引履歴の社会記憶の一部を提供することでしかない。

経済における通貨の役割を、(1)価値保蔵、(2)交換媒体、(3)計算単位、の三機能とする標準的解釈は馬鹿げている。技術的に見ると、この三つ役割はどれも本当にマネーを必要としないことが分かる。(1)社会が富を蓄える方法はマネーだけでない。(2)マネーは人が他人に財を引き渡す際のコストを節約しない。(3)マネーが他の財より上手く価値を測れるとは限らない。マネーの存在についての伝統的な解釈は、マネーの機能を記述するものであって、解釈になっていない。 これがマネーの存在を本当に解釈すれば、マネーは記録装置である、ということだ。

マネーの役割が記録であると気がついたのは私が最初でない。この手の議論は、ロバート・タウンゼンド(Townsend 1987, 1989, 1990)の業績に大きく負っている。タウンゼンドは、金銭が取引履歴の記憶補助として最適な調整で生み出される状況を研究した1。他にもオストロイ(Ostroy 1973)、ルーカス(Lucas 1980)、アイヤガリ&ウォレス(Aiyagari and Wallace 1991)なども、通貨が過去の取引の結果を知るために役立つ点に注目した。私は、先行研究とは対照的に、マネーの記録機能の一般性特異性を強調する。

ミルトン・フリードマンの有名な言葉〔インフレはいつでもどこでもマネー的な現象である〕をもじって私の言いたいことを表せば、「マネーはいつでもどこでも記憶的な現象である」。

まずは一般論

一般的な議論は、次の通りである。マネーが流通する経済を考えよう。ここからマネーを取り除き、全取引の履歴に置き換えよう。その履歴は誰もが知っているものとしよう。マネー経済において取引相手になるはずだった人に、贈り物をするものとしよう。するとマネー経済の均衡配分は、贈与経済の均衡配分になる。贈与経済は贈与ゲームといってもいい。

この議論の裏にあるロジックは、マネー経済を再現する贈与ゲームでは過去の取引記録にもとづいて戦略を練ることができる、というロジックである。マネー経済において、消費を譲る人は、マネーを受け取るので、そのマネーで翌期の消費を購入できる。贈与ゲームでは、各人の想像上のバランスシートが記憶される。他人に消費を譲る人は、バランスシートの残高が増える。その残高は、将来贈り物を受け取る力になる。他人から消費の贈り物を受け取る人は、残高が減り、将来贈り物を受け取る力が減る。マネー経済におけるマネーは、このバランスシートを維持する物理手段にほかならない。

注意すべきは、贈与ゲームがマネー経済と異なる点が二つしかないことだ。一つは、贈与ゲームにおいてはマネーが存在しないこと、もう一つは、贈与ゲームにおいて、誰でも過去の取引を何でも知っていることである。違いはこの二点だけだ。したがって、マネー経済に存在しない強制や拘束の手段は、贈与ゲームでも存在しない2。技術的には、マネーは社会記憶の形式なのである。

そして三つの標準モデル

以上のような一般論を、三つの標準モデルに適用しよう。

  • 世代重複モデル、
  • ターンパイク・モデル、
  • サーチ・モデル3

世代重複とターンパイクのモデル型ではマネーは完璧な記憶装置であるが、サーチ・モデルではマネーの役割に大きな限界があることを示す。

■世代重複モデル

世代重複モデルの一種から始めよう。世代重複モデルはもともとはポール・サミュエルソン(Samuelson 1958)がつくったものだ。この種のモデルで、全取引の完全記憶が備われば、マネー均衡が贈与均衡として達成されることを示そう。

この経済において、各世代が J 人いるとしよう。人々は二期間生きる。第一期は若年、第二期は老年だ。各期に新しい世代が生まれ、その世代は翌期まで生きる。各世代の各人は、若年時に消費財を一単位生み出すが、老年期には何も生み出さない。消費財は完全に分割できるが、貯蔵できない。現在の消費 c_y と将来の消費 c_o に関する若者の選好は次の効用関数で表される。

u(c_y,c_o)

ここで u は強い増加関数である。老人はできるだけ多く消費したいと望んでいる。

□マネーがある場合

各老人は、完全に分割できて貯蔵もできて隠せるけれど、何も効用を生まない財を一単位持つと想定しよう。この財をマネーと呼ぶ。さらに各期、人々はマネーと消費を競争市場で交換するものと想定しよう。競争均衡は、各期の若者がマネーを全て需要する場合の、財に対するマネーの価格の流列 \{ p_t \} ^\infty _{t=1} で表される。数学的にいうと、競争均衡では全ての t について、

1 \in {\bf argmax} _{m \geq 0} u(1-p_{t}m, p_{t+1}m)

が成り立つ。ここで m は各人のマネー保有である。この均衡では、 t 期において若者は 1-p_t 単位を消費し、老人は p_t 単位を消費する。

□マネーがない場合

さて、マネーと財の競争的交換の代わりに、人々が贈与ゲームをプレイすると想定しよう。 t 期において、 J 人の各若者は各老人に非負の量の消費を移転する。 t に若者 j が老人 i に贈った移転を \tau ^{ji}_t と表す。 t+1履歴を移転の履歴 \{ \{ \tau ^{ji}_s \} ^t_{s=1} \} ^J_{j,i=1} で定義する。移転の全記録が共有知識であることを意味する。

若者 jt+1 期の戦略は、履歴の可能集合から移転ベクトルの可能集合への写像である。贈与均衡は、過去のプレイの履歴を踏まえ、他の戦略が決めた行動を所与とみなして決めた行動が最適反応であるような戦略を集めたものである4

注意すべきは、贈与均衡において、人々は時間を超えて特定の移転スキームを約束する手段を持たないことだ。ゆえに、贈与ゲームがマネー経済と決定的に違う点は、贈与ゲームでは人々が過去の取引を全て知っている点だ。
次の命題は、この種のモデルでマネー均衡が贈与ゲームの結果の特殊例に過ぎないことを示す。

命題1. 世代重複モデルにおいて、あらゆる静態的なマネー均衡は、贈与ゲームの移転の均衡経路である。

証明。マネー均衡 \{ p_t \} ^\infty _{t=1} を考える。一般性を失わずにマネー経済の数字を使う。若者 j は老人 j に移転 p_t を贈る。主張は移転の流列が贈与均衡で実現できるということを主張したい。

0 期の老人全員にラベル善を付ける。贈与均衡において、ラベル善を付けられた人は、暗黙の社会契約が指示する通りに必ず贈り物をしてきた。ラベル悪を付けられた人は社会契約を破ったことがある。 t 期に若者 j が採る戦略を次のように考えよう。

  • そのとき老人 j にラベル悪が付いている場合、若者は老人に何も移転しない。
  • そのとき老人 j にラベル善が付いている場合、 p_tを移転する。そうしなかった若者は翌期にラベル悪を付けられる。

こうしたラベル付けは、プレイの履歴の機能か、初期のラベル付けしかないから、正統な戦略である。

こうした戦略を集めたものが贈与戦略であると私は思う。ラベル悪を付けられた老人 j を考えよう。若者はこの老人に移転を行う動機がないから贈らない。ラベル善を付けられた老人に移転 p_t を行わない若者は翌期に移転を受け取れない。しかし、

u(1,0)<u(1-p_t,p_t+1)

である。そのわけは、マネー均衡において、人は翌期の p_{t+1}単位の消費と引き換えに今期の p_t 単位の消費を失うことを選んだからだ。ゆえに、この状況で若者は老人に移転を行う。

Q.E.D.

 世代重複モデルでは、マネーを経済から取り除いて履歴記録に置き換えても均衡配分は失われない。したがって、この種のモデルでは、マネーは記憶装置の一種にほかならない。しかし、価格水準一定のマネー均衡配分は贈与均衡配分の中でも効率的であるから、マネーは良い記憶装置である。社会にとってマネーより良い記録装置は他にない5

■ターンパイク・モデル

世代重複経済の欠点は、意思決定の期間が生涯の半分であり、実際に人々がマネー保有について決定する周期と全く異なるように思えることである。ここでは、その弱点を弱さで悩まないですむタウンゼンド(Townsend 1980)によるモデルを考えよう。そのモデルにおける命題が、上記の命題と似ていることを証明する。

□マネーがある場合

実数直線上の整数の各点に交易所が無数に所在する世界を想定しよう。高速道路やターンパイクに沿いにあるような状況である。
各期に各交易所に二種類の人がいる。 t 期に、 奇数番の人は、t が奇数のとき一単位の消費財を持ち、偶数のとき消費財を持たない。 偶数番の人は、t が奇数のとき消費財を持たず、偶数のとき一単位の消費財を持つ。消費財は腐りやすい。
t 期に各タイプの人は現在と将来の消費について、割引因子 0<\beta0 が存在する場合に限って存在する。

\delta^* ={\bf argmax}_\delta u(1-\delta)+\beta u(\delta)

この均衡のタイプにおいては、豊かな人は貧しい人に、マネーと引き換えに \delta 単位の消費を譲り渡す。

□マネーがない場合

さて、ターンパイク経済で、マネーがないと想定しよう。その代わりに、世代重複モデルでの議論と同じような贈与ゲームをプレイする。各期各人は同じ交易所にいる他人に任意の量の消費を自由に移転する。人々は移転を同時に決める。このゲームでは世代重複モデルと同様に、履歴は、過去に行われた移転の完全な記録であり、贈与均衡は、全ての人が全履歴を踏まえて最適行動を採った場合の戦略の集まりである。命題1と同様に次の命題を証明する。

命題2. ターンパイク・モデルでは、あらゆる静態マネー均衡の移転は、贈与ゲームでの移転の均衡経路である。

証明\delta^* を静態マネー均衡で行われる常時一定の移転としよう。モデルのよると、 J 人のグループはいつも一緒にいる。グループ内の各人に 1 から J までの番号を付ける。各人はラベル善かラベル悪を付けられる。最初は全員にラベル善を付ける。特定のグループ内で多く持つ豊かな人 j は次の戦略を採ると考えよう。

  • 豊かな人 j か 貧しい人 j のどちらかにラベル悪が付いている場合、この豊かな人は何もしない。
  • 豊かな人にラベル善が付いており、 t が偶数である場合、この人は何もしない。
  • 豊かな人にラベル善が付いており、t が奇数であり、貧しい人にもラベル善が付いてる場合、豊かな人は貧しい人に \delta^* を与える。

ここでも命題1の証明と同じように、ラベルはプレイの履歴か初めに付けられたラベルでしかないので、この戦略は正統戦略である。
この戦略の集まりが贈与均衡である。戦略通りに移転すべきときに移転しなければ、この人にはラベル悪が付けられる。ラベル悪の人は贈り物を何も受け取れないから、自給自足に追い込まれることになる。こうなると、

u(1-\delta^*)+\beta u(\delta^*) \leq u(1)+\beta u(0)

であるから、マネー均衡で保証される移転パターンの場合より悪化する。

Q.E.D.

 くりかえせば、ターンパイク経済からマネーを取り除いて完全記憶に置き換えてもマネー均衡は消え去らない。マネーは記憶の特殊型にほかならない。

世代重複の設定では、マネー均衡は贈与均衡経路のうちで効率的な配分をもたらした。ターンパイク・モデルでは、これは一般に正しくない。 \delta^*=\frac{1}{2} である場合か、あるいは豊かな人が自給自足レベルの効用に追い込まれるか場合に限って、常時一定の移転 \delta^* は効率的である。このことは簡単に示せる。

u(1-\delta^*)+\beta\frac{u(\delta ^*)+u(1-\delta^*)}{1-\beta}=u(1)+\beta\frac{u(0)+u(1)}{1-\beta }

(直感的には \delta^* \neq \frac{1}{2} だから、できるかぎり消費スムージングしても自給自足レベルに追い込まれることになる。)一般に、静態マネー均衡ではどちらの条件も満たされない。

以上の分析は、ターンパイク・モデルでマネにおいてマネーは不完全な記憶装置であることを示唆する。しかし、レオニード・フルヴィッツ(Hurwicz 1980)によると、特定の取引がうまくいかなかったとしても、それがマネーのせいとは限らない。このモデルにおいて、効率的な資源配分に失敗したのは、マネーの弱点のせいではなく、むしろ人々が財をマネーと交換する手続きの欠陥のせいである。

□別の交換手順

このことを見るために、交換手順を次のように変える。各交易所で各集団内の人々は、 1 から J までの番号を付けられる。同じ番号が付いた二人がペアになる。各ペアの二人は、同時かつ別々に、交換の提案を書き留める。もし両提案が一致すれば交換を行う。どちらも相手の取引履歴を知らないが、マネーをいくら持っているか知っている。

このような交換手順であれば、あらゆる贈与均衡経路は、記憶のないマネー均衡で実現できる。例えば (\frac{1}{2},\frac{1}{2}) の分割が贈与均衡経路であると想定しよう。この分割を実現するマネー経済の戦略は簡単に分かる。貧しい人が一単位以上のマネーを持つ場合、豊かな人はマネー全額と引き換えに消費一単位の半分を譲り渡すと提案する。貧しい人は常に同じ提案を書き留める。もし貧しい人が一単位未満のマネーしか持っていなければ、豊かな人は移転を行うのを拒む6

豊かな人が将来の消費スムージングの利益を得るために今日消費の半単位を譲り渡す気がある限り、これらの戦略は均衡を生み出す。もう一つの方法については、全期間で自給自足より効用が高い限り、これらの戦略は (\frac{1}{2},\frac{1}{2}) の分割を実現する。戦略が贈与平衡も作る場合に限り、これは真実である。
この交換手順の鍵は、消費に対するマネーの評価が非常に非線形であるということだ。マネー一単位は消費の半単位の価値があるが、一単位未満の金額は価値がゼロだ。
各交易所の交換が線形価格ルールを強いるという仮定は、最適より劣る配分につながる。(似た議論はTownsend 1989を見よ)。
まとめると、ターンパイク・モデルにおいて、すべての静態マネー均衡は、贈与均衡でもある。

静態マネー均衡は、他の贈与均衡と比べて非効率である。しかし、それは競争的な交換の仮定が理由だ。マネーを使うことが記憶の喪失を伴わない交換手順が存在する7

■サーチ・モデル

世代重複モデルもターンパイク・モデルも、人々が通貨を持つ伝統的な理由とされる「欲望の二重の一致」を捉えていない。例えば、肉屋は牛肉を持っていてパンを買いたい。マネーがないと、肉屋は、ベジタリアンでないパン屋、しかもたまたま牛肉を欲しがっているパン屋を探さないといけない。牛肉は腐りやすいから、こんなパン屋を探すのにかかる時間は大問題だ。肉屋は、マネーと引き換えに牛肉を欲しがる誰かに牛肉を売って、そのマネーを使ってどこかのパン屋からパンを買えばいい。

清滝信宏とランダル・ライト(Kiyotaki and Wright 1991)は、マネーのこの役割を捉えるモデルを提示した。このサーチ・モデルは、他の二つのモデルと違って、社会記憶として限界のある形式でしかないことを示そう。このことは、経済にとって他の記録装置が必要になる可能性を示している。もちろん現実経済は既に持っているものだ。

清滝&ライト・モデルの仕組みは次の通りだ。経済には三タイプの人がいる。三タイプとも選好と技術が異なる。三というのは欲望の二重の一致を生み出す最小の数だ。例えば、パンを食べたい肉屋、芋を食べたいパン屋、肉を食べたい芋農家といった具合だ。各種の人は無数に存在する。長持ちせず分割できない財が三タイプある。各期、タイプ i の人はタイプ i の財を一単位あらかじめ持っている。しかし、タイプ i の人はタイプ i+1 の財からのみ一単位の効用をその期に得る8。他の財からは何も効用を得ない。人々は永久に生き、割引因子 beta で効用を割り引く。

各期、人々はランダムに二人組になる。組む相手が誰になるかは、タイプに関わらず確率は均等である。組んだ二人が合意すれば、財を交換してもいいし移転してもいい。しかし、交換や移転を行うと \epsilon <1 単位の効用を失う。いわば輸送コストがかかる。

この状況では、すべての組み合わせで、タイプ i+1 の人が タイプ i の相手に与えるのが、事前的に効率である。財を与えると \epsilon 単位の効用を失うが、消費財から一単位の効用を得るので、差し引きプラスである。問題は、この取り決めが強制であることだ。

タイプ i+1 の人が タイプ i に資源を譲り渡す際にかかる \epsilon 単位のコストを我慢する気にさせる方法は何か?。

□マネーがある場合

清滝&ライト(Kiyotaki and Wright 1991)は、通貨がこの問題を部分的に解決することを示した。分割できないが貯蔵できて隠せる財である通貨を、各タイプの半数の人が持っていると想定しよう。通貨を消費しても効用は得られないと仮定しよう。また同時に一単位より多く通貨を持てないと仮定しよう。静態マネー均衡では、通貨を持つタイプ i の人は、通貨を持たないタイプ i+1 の人に対して、財と引き換えに通貨を渡す。タイプ i+1 の人が本来不用のマネーを受け取るのは、将来、通貨を使って、欲しい消費財を、タイプ i+2 の人の半数から買い求めることができるからだ。

明らかに、人々が十分忍耐強い場合に限って静態マネー均衡が存在する。なぜなら、人々が、現在の輸送コスト \epsilon を自ら支払うのは、それと引き換えに将来欲しい財を手に入れる可能性を得るためだ。静態マネー均衡で何が必要か見てみよう。
マネーを持つ人の生涯効用を V_1 、マネーを持たない人の生涯効用を V_0 と定義しよう。すると、静態マネー均衡では、 V_1 V_0 の値は次の式の通りだ。

V_1 = \frac{1+\beta V_0}{6}+\frac{5\beta V_1}{6}

V_0 = \frac{\epsilon +\beta V_1}{6}+\frac{5\beta V_0}{6}

V_1 の式をみると、マネーを持つ人は、 \frac{5}{6}の確率で、マネーを持ちつづけて効用を得られず、残り \frac{1}{6} の確率で、こちらの欲しい財を持ってマネーを持たない相手と出会って取引をする、ということだ。次の V_0 の式をみると、マネーを持たない人は、 \frac{5}{6}の確率で取引を望む相手と出会えず、そして \frac{1}{6}の確率で、財のニーズが合いマネーを持つ相手と出会う、ということだ。

V_1 V_0 の値は次の不等式を満たす。

-\epsilon +\beta V_1 \geq \beta V_0

1 +\beta V_0 \geq \beta V_1

第一の不等式は、マネーを持たない人がマネーと引き換えに財を渡すのが最善であることとを意味する。第二の不等式は、マネーを持つ人が財と引き換えにマネーを渡すのが最善であることを意味する。このような V_1 V_0 は次の場合に限り存在する。

\beta \geq \frac{6\epsilon}{1+5\epsilon}

したがって、人々が十分に忍耐強い( \beta が高い)場合か、あるいは輸送コストが十分に低い( \epsilon が低い)場合に、取引相手に財を引き渡す気にさせる。これによって問題は部分的に解決する。

□マネーがない場合

さて、他のモデルと同様に、経済の取引の全履歴を人々が知らない場合にのみ通貨は必要になる。このことを見るために、次のような贈与ゲームを考えよう。

組み合わせになった二人が、相手に譲り渡すか否かについて、同時かつ別々にを選ぶ。このゲームの履歴は、過去の対応、過去の全ての相手の過去の対応、等々。これまでと同様、戦略は、履歴から選択への単純な写像である。贈与均衡では、他人の戦略を所与とした最適な対応を、戦略が履歴を踏まえて決める。

このように均衡を定義して、次の命題を証明する。

命題3. サーチ・モデルにおいて、あらゆる静態マネー均衡は、贈与均衡での移転の均衡経路である。

証明。静態マネー均衡は非対称的贈与均衡である。マネー均衡でマネーを持つ人をラベル善を付け、マネーを持たない人をラベル悪を付ける。移転ゲームの戦略は次のように描写される。

  • あらゆる期において、ラベル善を付けられたタイプ i+1 の人が、ラベル善を付けられたタイプ i の人と出会った場合、タイプ i+1 の人が、タイプ i の人に財を与える。ラベルは取り換えられる。
  • 他の出会いでは、何も移転しない。

ラベル善やラベル悪は全取引の履歴の関数であり、上記の戦略は正統戦略である。また、ラベル善を付けられた場合の効用は V_1 に等しく、ラベル悪を付けられた場合の効用は V_0 に等しい。

この戦略は贈与均衡であるか? ラベル善を付けられるのはラベル悪を付けられるより得をする。今、タイプ i の人にラベル善が付いていると考えよう。この人は i-1 の人に財を譲らないだろう。ラベル善のついたタイプ i の人は、最善のラベル善を既に得ているから、財を譲ることで効用を失っても、何ら得るものはない。一方、ラベル悪の付いたタイプ i の人を考えよう。静態マネー均衡では \beta V_0 \leq -\epsilon +\beta V_1 である。したがって、このような人は、 \epsilon を負担して財を譲るのと引き換えに、ラベル善を受け取ろうとする。

Q.E.D

 このように、ここでも前の二つの経済と同じように、マネーは過去に起きたことを記録する手段としてだけ役に立つ。人々が自分で記録をつけるならばマネーは不要である。つまり、経済にマネーを付け加えてもパレート優位な配分を達成する役に立たないという意味で、マネーは不要なのである。

世代重複やターンパイクのモデルでは、完全に分割できて貯蔵できて隠せる財が、履歴の全知識の代わりとしてに十分であることを見た。サーチ・モデルではこれは正しくない。特に、サーチ・モデルには、静態マネー均衡で達成されるより効率的な配分を実現する贈与均衡がある。

このことを見るために、この状況で最悪の贈与均衡は取引のない均衡であることに注意しよう。この場合、効用はゼロだ。これは、より良い結果を生み出すための脅しとして使える。〔ゲーム理論でいう厳格戦略ですね。〕ゆえに

-\epsilon (1-\beta )+\frac{\beta (1-\epsilon )}{3} \geq 0

である限り、将来の取引を失うことを恐れて、消費を欲する相手に消費を譲るよう思い止まる。この制約を書き換えると

\beta \geq \frac{3\epsilon }{1+2\epsilon }

である。明らかに

\frac{3\epsilon }{1+2\epsilon } \leq \frac{6\epsilon }{1+5\epsilon }

である。ゆえに、マネー均衡が存在する場合、必ず贈与均衡は対称的な効率配分を実現できる9

この設定には、記憶装置としてのマネーに関して内在的な限界がある。つまりマネー均衡が非効率であるという限界がある。効率的な贈与均衡において、タイプ i+1 の人に移転を行わなかったタイプ i の人は、厳しく罰せられる。タイプ i の人に移転を行わなかった人は全く罰せられない。前者の移転は社会的に有益(事前的)だが、後者はそうでないから、両者の区別は重要だ。

履歴の記録のないマネー経済では、これを区別できない。特定の人の取引相手の記録が残っていないから、将来の人々は、たまたま出会いに恵まれずに移転を行えなかった人を、社会の取り決めを裏切って移転を行わなかった人と同じように扱ってしまう。マネー均衡では人々は、移転を行えば先行き利益の期待できるからこそ、移転を行う気になるにすぎない。したがって、均衡において、タイプ i の人は、タイプ i の人に出会うよりタイプ i+1 の人に出会うほうが得をする。マネー均衡の経路に沿った効用の変動は、効率的な贈与均衡に比べて劣るのである。

サーチ・モデルおいてマネーは記憶装置として不完全であるが、だからといって、マネーが記憶装置であるという私の一般論がおかしいわけではない。むしろ、マネーより優れた記憶装置が他にあるという現実的な可能性について、サーチ・モデルを用いて考えることができる。サーチ・モデルにおいて、電子的なデビットカードや取引記録のような記録技術は、マネーよりも厚生を改善し得る。世代重複やターンパイクのモデルではこうしたことはない。

信用の役割?

そういうわけで、マネーは、過去の贈り物と引き換えに将来の利益を約束した経緯を記録する手段でしかない。これと同じことは他の紙の資産についてもいえるのか?
たとえば、債券は、本来不用の紙切れだが、過去に消費を減らした保有者に将来の消費を約束するものだ。上記の命題は、債券に当てはまるか? 答えはノーだ。資産市場の均衡は、通常、贈与均衡として達成できるとは限らない。

このことを簡単な例で示そう。有限期間の設定では、贈与均衡は一つしかない。自給自足だ。同様にマネー均衡も自給自足しかない。しかし、有限期間の設定であっても、資産市場配分は自給自足以外にもあり得る。無限期間については、簡単には示せないが、有限期間と同じことがいえる。贈与均衡ではない資産市場配分が存在する。

事後の個人合理性の制約を打ち破ることを人に強制できるものとして債券は設定されているので、債券は別の配分を達成できる。二期間の設定では、合理的な借り手には、第二期に借入を踏み倒す誘因がある。借り手に契約条項を守らせるのには、何らかの外部の力による脅しが必要である。このような外部の力による脅しは贈与ゲームに存在しない。

まとめると、マネーも債券も、過去の取引の経緯を記録することに役立つが、本来不用の紙である。マネーと債券の区別は場合による。マネーは、強制も約束もない場合において、記憶の一種として用いられる。(それで、マネーが存在するとき、全ての資源の移転は贈り物であると言うのが正統である。)
債券は、強制や約束のある場合において、記憶の一種として用いられる。(資源は外部の力の脅しによって移転されることがある。)10

■まとめ

経済においてマネーの技術的役割は、人々が過去の取引のある一面を確実に記録して、その記録を他人に見せることにある。短くいえば、マネーは社会記憶の役割を演じる。この役割を果たすマネーの能力は状況の細目に依存する。世代重複やターンパイクのモデルではマネーは完璧な記憶装置であるが、サーチ・モデルでは限定的にしか使用されない。マネーと債券の役割の主な違いは場合による。マネーも債券も記録装置として使われるが、債券は契約条項を守らせる約束を可能にするのに対して、マネーはそうではない。

タウンゼンド(特にTownsend 1980)は、通貨と信用の使用割合を決定する際に、空間調整の重要性を強調する。私の推理によると、特定の空間調整の重要な特質は、地理そのものでなく、むしろ地理が暗示する記憶と約束の技術的制約である。このように、ターンパイク・モデルにおいて、交易所で出会う偶数番の人と奇数番の人が互いの経歴を知らないのは当然だろう。このような記憶の欠如は、マネーの必要を生み出す。それにもかかわらず、記憶の欠如は、地理的特徴に固有でなくて、むしろ何らかの技術的な不足を反映する。

同様に、ターンパイク・モデルで、奇数番の人 j が「左隣の交易所の偶数番のの人 j は、持参人に消費の一単位を借りている」と書いてある紙と引き換えに今日消費を譲るのは不自然だろう。そのような契約の欠如はマネーの価値を生む。しかし、この場合も、地理に固有のものが、そのような契約を排除することはない。むしろ、そのような契約の欠如は、ある種の強制技術の欠如を反映する。

サーチ・モデルの分析で明らかにしたことは、マネーは一般に記憶の限定された形式でしかない。これは、今後の研究に二つの難問を提起する。一つは、マネーの記録機能は制限されているが、これよりも正確な手段を見つけることだ。しかし、その手段が経済環境の広い範囲に適用できないかぎり、そのような手段に興味がない。
もう一つの難問は、もともとフルヴィッツ(Hurwicz 1980)が提起したものだ。制度の設計で解決する類の問題であっても、マネーを考慮すべきかもしれないとフルヴィッツは論じた。私の分析によって、フルヴィッツの論点を少し絞り込むことができる。社会は、多種多様な記録技術を利用できる。なぜ、マネーは、記憶として限界があるのにかかわらず、これほど広く普及した制度なのか? 私とウォレスの最近の仕事(Kocherlakota and Wallace 1997)は、その問いに答える第一歩である。

最後に、こうしたマネーに関する見方が、現実世界に持つ意味についての一言。マネー経済学は、伝統的に、マネーの数量や成長率がどのように財の価格や数量に影響を及ぼすか、という問題が中心だった。ここでの私の議論は、この中心問題を避けている。マネーは記憶装置である。ゆえに、できる限りの最も効率的な方法で記録が実行されるように、金融政策は設計されるべきである。どうすればいいか? 今は分からない。しかし、最適金融政策について十分で堅確に理解できるように研究を進めるべきである。

〔原注〕

  • 本稿は著者の研究「マネーは記憶です」をやさしく解説した論文である。「マネーは記憶です」はジャーナル・オブ・エコノミック・セオリーに載る予定である。アカデミック・プレス社の許可により、本稿をミネアポリス連銀四季報に掲載する。〔謝辞は省略〕

参考文献

〔ここはコピペです〕

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  • ___________. 1990. Financial structure and economic organization: Key elements and patterns in theory and history. Cambridge, Mass.: Blackwell

  1. 人はマネーを使って取引と生産の履歴の一部を他人に伝達するので、タウンゼンド(Townsend 1987)はマネーをコミュニケーションの技術と呼ぶ。私は、用語をもっと特定して、社会記憶と呼ぶのがよいと思うが、タウンゼンドも私も同じ機能について語っている。最も正確な用語は、おそらく公開データベースだろう。マネーは、基本的に、取引履歴の特定部分の記録を人々が利用できるようにする情報貯蔵装置である。 
  2. 社会の資源配分の外部強制はマネー経済に存在しないの実行をしないと仮定する。(細かいことをいうと、人々は一貫した個人合理性の制約を満たさなければならない。)この仮定をおく理由は二つある。私が研究する環境では、マネーや記憶によって社会の資源配分にパレート改善の余地がなくなることを、この外部強制の存在は意味する〔←意味が分からん〕。(詳しくは、マーク・ヒューゲットとステファン・クラサの研究 (Huggett and Krasa 1996)と、本稿の元となっている「マネーは記憶です」を参照せよ。)仮定するもう一つの理由は、本質的に役に立たない金券が、外部強制の環境において記録の目的で使われるとき、それらの金券がマネーよりもむしろ債券に似ていることだ。私は、その状況について最後の節で論じる。 
  3. 世代重複とターンパイクのモデルについて、より完全な説明は、トーマス・サージェントの1987年の教科書を参照せよ。 
  4. ここで述べていることを、ドルー・フーデンバーグとジーン・チロル(Fudenberg and Tirole 1991 pp.187ff)は、フォーマルに完全公的均衡と名付けている。私の論文「マネーは記憶です」も参照せよ。 
  5. マネーのある世代重複経済における配分調整メカニズムを次のように想定せよ。老人 j と若者 j の間のマネーと消費の取り分けについて老人 j が書き留める。若者 j も同時に同じことをする。両者が同じ配分を書き留めていた場合はマネーと消費の取り分けは実行される。そうでない場合は実行されない。社会記憶のある世代重複経済の贈与均衡が、この調整メカニズムのマネー均衡であることは簡単に示せる。ただしマネーは分割できないが隠せるものとする。 
  6. この均衡行動の記述において、マネー保有は完全に観察できるかのように取り扱う。しかし、マネー保有を隠せる場合でもこの戦略は成り立つ。 
  7. この環境にどのような摩擦を追加すれば、競争が資源配分の良い方法になるか? その摩擦を追加したときに、マネーは記憶装置として完全なのか不完全なのか? これはいい質問だ。しかし、私にとって未解決の問題だ。 
  8. サーチ・モデルに関する議論では、全てのタイプは、三で割った余りである。 
  9. 対照的で効果的な配分の効用は V_1 より大きいを示せるので、静態マネー均衡においてマネーがあってもなくても悪い状態に陥る。 
  10. この見解によると、当座預金は債券の一形式であって、マネーではない。