タグ別アーカイブ: バブル

ジョン・ローとメフィストフェレス

ゲーテの『ファウスト』にメフィストフェレスという悪魔が登場する。
ミシシッピ・バブルを演出したジョン・ローはメフィストフェレスのモデルであるとする説がある。
森鴎外が、『ファイスト』を翻訳した際に著した『フアウスト考』で、その説を紹介している。

森鴎外『フアウスト考』大正2年、p274、近代デジタルライブラリー所蔵
「地下の宝はメフィストフェレスが取り出そうと約束したばかりで、取り出さない。仮装舞の場で持ち出した箱は幻術の戯に過ぎない。これに反して同じ場で帝は意識せずに、紙幣の版下の署名させられた。紙幣の基本金は、即ち未発掘の地下の宝である。これは歴史に類例がある。一つは一七二〇年にフランスでミシシッピイの土地を基本にしてだしたロオの紙幣、今一つは一七八九年に同じ国で、寺院財産を基本にして出したアシニアア紙幣で、いづれも国家の破産を誘致してゐる。」

マネーはバブルか論争

2012年10月、経済学ブログ界で、マネーがバブルか否かについて論争が巻き起こった。

論争の流れは、ノア・スミスが自らの視点でブログ記事でフォローアップしている。論争に参戦したブログ記事のリンクは下記の一覧を参照してほしい。

だいたいこういう流れだ。

  • まず20日に、ウィリアムソンがクルーグマンを批判する文脈で「マネーはバブルだよね」と語ったのが始まりだった。
  • 21日、ノア・スミスというエコノミストが「バブルじゃないよ。マネーがバブルと言い出したら殆どの金融資産は全てバブルになってしまう。」と批判した。このノア・スミスが誰だか知らないが、日本に住んでいたこともある自称オタクらしい。
  • 22日、クルーグマンも参戦して「バブルという呼称はよろしくない。サミュエルソン流にいえばマネーは社会的工夫だ」と、言葉の定義で話を逸らした。この日にはウィリアムソンが直ちに反論したほか様々な人々が各自のブログで意見を述べて、かなり盛り上がった。
  • その後も意見は続き25日にウィリアムソンが意見を述べて論争は終結した。

ウィリアムソンの定義によると、キャッシュフローの割引現在価値をファンダメンタル価値(FV)と呼び、資産価格がFVからズレる分がバブルである。マネーはFVがゼロだから純粋なバブルである、というのがウィリアムソンの見解だ。バブル研として思うに、この手の一面的なバブル観が論争の火種となったようだ。

ノア・スミスは、金融資産のキャッシュフローはマネーで測られるから、ウィリアムソンの定義に従えば、金融資産のFVはマネーで測られ、マネーのFVがゼロなら金融資産のFVもゼロということになる。ウィリアムソンの定義はおかしい、というのがノア・スミスの批判だ。

クルーグマンは、おそらくウィリアムソンの定義を認めたうえで、バブルという呼称は、非合理的バブル(根拠なき熱狂)を想起させるのでよろしくない。バブルでなく、サミュエルソンが世代重複の論文で言ったように社会的工夫と呼ぶべきだ、と言った。

他の論者で目につくのは、チロルによるバブルの定義に言及するものだ。チロルは、サミュエルソンが世代重複モデルで社会的工夫と呼んだものをバブルと呼ぶ。この定義ではマネーはバブルだ。ウィリアムソン流のバブルの定義とは違う。ウィリアムソンの定義は、キャッシュフローや割引因子を所与とする一面的な定義である。すこし突っ込まれるとボロがでる。チロルの定義は、経済全体の動きを考慮したうえでバブルを定義しており、定義として頑健である。
ノア・スミスは、コメント欄でチロルの議論を指摘されると、「チロルは間違っていると思う」と述べているが、チロルのどこを間違っていると考えているのか説明がないので、意味不明である。

バブル研としての考えを述べてば次の通りだ。
当バブル経済研究所でいうところのバブルは、チロルと同じ意味だ。キャッシュフローの割引現在価値を云々するウィリアムソン流バブルは、定義が不十分でありミスリードを招くので宜しくない。クルーグマンはバブルじゃなくて社会的工夫と呼ぼうよと言ったが、社会的工夫と呼ぶほどマネーをコントロールできているわけではない。マネーに振り回されている現代において、社会的工夫と呼ぶのはミスリードだ。バブルという言葉がどうしても嫌だったら、クルーグマンお得意の創発現象とでも呼べばいい。

マネーはバブルか論争/ブログ記事一覧

北村行伸「ジョン・ロー」

北村行伸「ジョン・ロー」、日本経済新聞 、やさしい経済学、危機・先人に学ぶ、2012年3月5日~14日

http://www.ier.hit-u.ac.jp/~kitamura/PDF/A239.pdf

バブルといえばジョンロー。日経やさしい経済学に連載されたジョンローの短い評伝です。

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