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【映画】ペイ・フォワード

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2000年米国映画。

世界の変え方を考える作品。
『シックスセンス』で有名な
天才子役ハーレイ・ジョエル・オスメントが主人公を演じる。

主人公のトレバー君は賢い中学一年生。
世界を変える方法を考えなさいという宿題に対して
ペイフォワードという仕組みを考案する。

ペイフォワードとは、
自分が受けた思いやりを、
その相手に返すのではなく、別の三人に与える。
与えられた人も更に別の三人に与える。
・・・という連鎖を繰り返していけば
世界に思いやりの輪が広がってゆく。
このような思いやりのネズミ講がペイフォワードだ。

トレバー君も映画製作者も気付いていないが、
これは進化論で間接互恵と呼ばれるものだ。
「情けは人の為ならず、回りまわって己がため」
という諺が示すメカニズムだ。

しかも、これは、現実の人間社会で既に実施されている。
クレジットカードによる商品の購入がそれだ。
商品の購入は、商品の流れだけをみると、
販売者から商品を貰っていることにほかならない。
これは即ち、思いやりを受け取ることだ。
そして思いやりを商品の販売者に直接返すのではなく、
自分の仕事をして、第三者に商品を提供する。
お金の流れをみれば、
仕事をして所得を得てカードの借金を返すのだが、
商品の流れをみれば、
第三者に思いやりを渡していることにほかならない。

経済活動には、
思いやりというラベルリングはなされていないが、
実態は思いやりの連鎖なのだ。
ペイフォワードと同じものだ。

ポイントは、自分は思いやりを受け取るだけ受け取って、
誰にも思いやりを与えないという「裏切り者」がいた場合、
これを排除する仕組みが必要であるということだ。

クレジットカードは、裏切り者を排除する仕組みの一つだ。
トレバー君のペイフォワードも、
クレジットカードのような裏切り者を排除する仕組みを
伴わない限り、うまくいかないことは目に見えている。
この映画が悲劇的なエンディングを迎えるのもやむを得ない。

裏切り者を排除する仕組みの必要性について
映画製作者が気付いていたら、
天才少年の社会イノベーション物語として成立していただろう。

たとえば今の日本で第二地方銀行に分類される銀行は、
もとは中世に庶民の間で自然発生した無尽講という相互扶助組織だ。
トレバー君の構想は、新手の相互扶助組織として
無尽講のように発展する可能性を秘めていたのだ。

しかし、それには裏切り者排除の仕組みが不可欠だ。
この映画がそこまで描くことができず、
悲劇的結末にせざるを得なかったことは残念だ。
が、仕方がない。

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【映画】エンド・オブ・ザ・ワールド

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『プライドと偏見』のキーラ・ナイトレイがヒロインを演じる、
ロマンティック・コメディのロードムービーだ。

邦題をみるかぎりでは
ありがちなSFスペクタクルを連想するが、
本作はSF要素は皆無である。
原題を直訳すると
「世界の終わりに友だち探し」
であり、邦題では省略された友だち探しを
テーマにした作品である。
世界の終わりは状況設定に過ぎない。

だが、バブル研としては、
この状況設定に興味がある。
無限繰り返しゲームが文明を成り立たせてる
という観点から本作品を観た。

文明は
「終局において破たんすべき性質のもの」(無限連鎖講禁止法)
である。つまりネズミ講でありバブルだ。
文明が破綻した後に残るのは親子関係か親友関係しかない。
この映画はその二つの関係を考える話だ。

映画の冒頭でニュースが流れる。
地球に衝突しそうな隕石を破壊する作戦を
試みたが、失敗に終わった。
三週間後に人類は滅びます、と
アナウンサーが告げた途端、
妻はドアを開けて逃げ出す。
夫は冴えない中年男。これが主人公だ。

妻は夫を愛していなかったが、
世界が続く可能性があるうちは、
おそらく経済的な理由を考慮して
夫の元に留まっていたのだ。

主人公は勤務先の保険会社に向かう。
めぼしい人物は全員仕事をやめ、
家族の元に去った後だった。
残ったのは、主人公を含め、
孤独そうで冴えない者ばかり。
希望者は重役に抜擢されるとのことだが、
主人公は仕事をやめる。

思うに、会社組織はバブルであり無期限性に立脚している。
期限が見えると会社は崩壊するのだ。
作品中最後まで自分の仕事を続けるのは
主人公の雇っている家政婦と
旅先の田舎の保安官と、それと
ニュースを流すTV局スタッフだけだ。
自分の仕事に誇り持っているのか
それとも単なる惰性か。
その他は誰も仕事をしなくなる。

そのうち略奪と破壊を行う群衆が迫る。
警察組織は崩壊しており、取り締まる者はいない。
いくらでも略奪し放題だ。
しかし略奪する群衆が登場するのは一回だけ。
おそらく、ためしに略奪してみたが、
世界が終るのに無駄に略奪しても意味がない
ことを悟ったに違いない。
中には、世界の終わりを信じないで、
あちこちから略奪してきたであろう
食料や武器を貯め込む者も登場するが、
大部分の人は、残り日数の衣食住を確保すれば
それ以上の財は要らないと考えているようだ。
要るのは共に過ごす人だ。

終局が近づくと、作風はファンタジー度が増す。
のんびり海岸で何してるの?とか、
小型飛行機で大西洋を横断できるの?
という問いは野暮というものだ。

この映画を一緒に観た「親友」は、
エンディングに不満だったらしい。
これはファンタジー映画なので、
あのエンディングでいいと思う。
ただ主人公の父親が可哀想な気がした。

似た設定の作品に
伊坂幸太郎『終末のフール』という小説があるそうだ。
やはり、秩序が崩壊する中でどう生きるか
という話らしい。読んでみようと思う。
また、似た設定に
『終末の過ごし方』という18禁ゲームがあるそうだ。
これはやれないなぁ。