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【映画】エンド・オブ・ザ・ワールド

Amazon.co.jp: エンド・オブ・ザ・ワールド DVD.

『プライドと偏見』のキーラ・ナイトレイがヒロインを演じる、
ロマンティック・コメディのロードムービーだ。

邦題をみるかぎりでは
ありがちなSFスペクタクルを連想するが、
本作はSF要素は皆無である。
原題を直訳すると
「世界の終わりに友だち探し」
であり、邦題では省略された友だち探しを
テーマにした作品である。
世界の終わりは状況設定に過ぎない。

だが、バブル研としては、
この状況設定に興味がある。
無限繰り返しゲームが文明を成り立たせてる
という観点から本作品を観た。

文明は
「終局において破たんすべき性質のもの」(無限連鎖講禁止法)
である。つまりネズミ講でありバブルだ。
文明が破綻した後に残るのは親子関係か親友関係しかない。
この映画はその二つの関係を考える話だ。

映画の冒頭でニュースが流れる。
地球に衝突しそうな隕石を破壊する作戦を
試みたが、失敗に終わった。
三週間後に人類は滅びます、と
アナウンサーが告げた途端、
妻はドアを開けて逃げ出す。
夫は冴えない中年男。これが主人公だ。

妻は夫を愛していなかったが、
世界が続く可能性があるうちは、
おそらく経済的な理由を考慮して
夫の元に留まっていたのだ。

主人公は勤務先の保険会社に向かう。
めぼしい人物は全員仕事をやめ、
家族の元に去った後だった。
残ったのは、主人公を含め、
孤独そうで冴えない者ばかり。
希望者は重役に抜擢されるとのことだが、
主人公は仕事をやめる。

思うに、会社組織はバブルであり無期限性に立脚している。
期限が見えると会社は崩壊するのだ。
作品中最後まで自分の仕事を続けるのは
主人公の雇っている家政婦と
旅先の田舎の保安官と、それと
ニュースを流すTV局スタッフだけだ。
自分の仕事に誇り持っているのか
それとも単なる惰性か。
その他は誰も仕事をしなくなる。

そのうち略奪と破壊を行う群衆が迫る。
警察組織は崩壊しており、取り締まる者はいない。
いくらでも略奪し放題だ。
しかし略奪する群衆が登場するのは一回だけ。
おそらく、ためしに略奪してみたが、
世界が終るのに無駄に略奪しても意味がない
ことを悟ったに違いない。
中には、世界の終わりを信じないで、
あちこちから略奪してきたであろう
食料や武器を貯め込む者も登場するが、
大部分の人は、残り日数の衣食住を確保すれば
それ以上の財は要らないと考えているようだ。
要るのは共に過ごす人だ。

終局が近づくと、作風はファンタジー度が増す。
のんびり海岸で何してるの?とか、
小型飛行機で大西洋を横断できるの?
という問いは野暮というものだ。

この映画を一緒に観た「親友」は、
エンディングに不満だったらしい。
これはファンタジー映画なので、
あのエンディングでいいと思う。
ただ主人公の父親が可哀想な気がした。

似た設定の作品に
伊坂幸太郎『終末のフール』という小説があるそうだ。
やはり、秩序が崩壊する中でどう生きるか
という話らしい。読んでみようと思う。
また、似た設定に
『終末の過ごし方』という18禁ゲームがあるそうだ。
これはやれないなぁ。

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商人のジレンマ

1940年にロンドンで生まれたケン少年は、
商店主が代金を受け取って商品を引き渡すことを
不思議に思っていた。
商店主が代金をそのままポケットにしまうだけで
商品を引き渡さない、
ということをしないのは何故なのか?

ケン少年はやがて数学者になりゲーム理論を研究する。
この少年時代の疑問をケン・ビンモアが回想して
著書に記したの七十才近くになってからだ(Binmore 2007)。
このケン少年の疑問こそ、
経済学者が長年気付きそうで気付かなかった大問題なのだ。

一回限りの交換は成立しない

あなたが誰かと物を交換する。
自分の持ち物も大事だが、
それより相手の持ち物を手に入れたほうが得をする。
相手も同じで、
自分の物よりあなたの物が欲しい。
持ち物を交換すればお互いに得をする。
ウィン&ウィンだ。

相手に会うのはこれ一回きりとしよう。
一回限りということは
お互いに匿名で覆面しているようなものだ。
この状況で、持ち物を交換できるか?

経済学では対立する二通りの考え方がある。
簡単に交換できるという伝統的な考え方と、
絶対に交換できないという新しい考え方だ。

良識的に考えれば問題なく交換できそうだ。
交換して互いに得するなら、
交換を約束して互いに自分の物を相手に渡せばいい。
人には生まれつき交換性向があるとアダム・スミスは述べた。
それ以来の伝統のためか、
普通の経済学は簡単に交換できることを前提にして話を進める。

しかしよく考えてみよう。相手は善人なのか?
匿名覆面の相手は信用ならない。
相手はあなたを裏切るかもしれない。
あなたの渡した物を受け取っておきながら、
自分の物を渡さずに手元に残せば、相手は得をする。
相手が本当に利己的で合理的ならば、必ずあなたを裏切る。
裏切られるぐらいなら、こちらも渡さないほうが得だ。
相手も同じように考えるだろう。

あなた自身が人を裏切るような小悪党ではないとしても、
相手が信じてくれなければしかたがない。
裏切れば得をするのだから相手の裏切りを疑うのが合理的だ。
互いに裏切りを疑えば、互いに持ち物を渡さない。
交換できない、という結果に陥る。
互いに協力すれば良い結果になることは分かっていても、
互いに裏切られるのを疑って、協力できない均衡に陥る。
これは非協力ゲーム理論でいう囚人のジレンマそのものだ。

囚人のジレンマという言葉の感じからすると、
取り調べ室のような状況を想像してしまい、
通常の経済活動とは無縁のもののように思えるかも知れない。
本当は、交換という基本的な経済活動に当てはまるジレンマだ。

単なる交換が囚人のジレンマの状況にあるということが
指摘されるようになったのは、かなり最近のことのようで、
私の探した限りでは青木(2000)が最初だ。
だから、この事実に気付いている経済学者はまだ少ない。

渡すタイミングをずらしても取引不成立

一回限りの交換は成立しないという見方に疑問を抱く人は、
二人が同時に渡そうとするから駄目なのであって、
一方が先に渡して他方が後で渡すという約束を結べば、
うまく取引が成立するのではないか、
と考えるかもしれない。
しかしタイミングをずらしても取引は成立しない。

取引が成立しないわけは次の通りだ。
先手の立場になって考えてみよう。
先に渡しても後手が渡し返してくれる保証はない。
後手が利己的ならば貰うだけ貰って自分は渡さずに済ますだろう。
先手は渡すだけ損だから、渡さないのが得策だ。
先手が渡さないので後手も渡さない。

では、何かの手違い先手が渡したら後手はどうするか。
後手は貰いっぱなしで自分は相手に渡さぬほうが得だ。
後手が合理的ならは渡さない。やはり取引は成立しない。

これはゲーム理論で信頼ゲームと呼ばれる(Binmore 2004)。
一方的囚人のジレンマとも呼ばれる(Greif 2005)。
進化ゲームでは直接互恵と呼ばれるようだ(Nowak 2006)。
どの呼び名にせよ、一回限りであれば取引は不成立で終わる。

囚人のジレンマと信頼ゲーム(一方的囚人のジレンマ)を
ひっくるめて商人のジレンマと呼びたいと思う。
私独自の用語法なので商標登録したい(かも)。

ここでの結論は、
商人のジレンマにおいて一回限りの取引は成立しない、
絶対に。ということだ。

評判の役割

路地裏で覆面をした人物が物を売っていたらあなたは買うか?
買わないだろう。
怪しげな覆面の人物は裏切っても失うものはない。
裏切るに違いない。
だからあなたは買わない。

同じようにインターネット上で
完全な匿名の人が物を売っていたらあなたは買うか?
やはり買わないだろう。
少なくとも、相手が完全匿名ではなく、
たとえばオークションサイトに登録していて、
それなりに善良な取引履歴が記録されていて
初めて購入を検討するのではないか。

鍵となるのは評判(レピュテーション)だ。

取引の合意を裏切ったら悪い評判が立ち、
悪い評判が立てば今後の取引機会を失い、
取引を失えば不利益を受けるとなれば、
相手は不利益を恐れて裏切らないに違いない。
互いにそのことを知っていれば取引を履行するだろう。
これで取引成立だ。

ここで取引を正直に履行するのは、
道徳観念に導かれた善き行いなどでは全然なく、
あくまで利に釣られた合理的行動である点に注意しよう。

評判を持つには少なくとも名前が付いていないといけない。
評判は名前に憑くからだ。
オークションサイトの参加者には
ハンドル名にしろ何にしろ名前が付いている。
ハンドル名と実名との関連は運営会社が管理している。
決して匿名ではない。

そもそも名前というのは、
その場にいない人の評判を噂するためのものだ。
人類が発明した社会ツールなのだ。

同時に引き渡す交換の場合、
双方が名前を持っていないといけない。
どちらかが匿名では、匿名者が裏切る。
そのように相手が疑うので交換は不成立に終わる。

では、先ほどみた
信頼ゲーム(一方的囚人のジレンマ)
の場合はどうか。

信頼ゲームでは引き渡すタイミングをずらす。
後から渡す後手には名前が必須だが、
先に渡す先手は匿名で構わない。
そのわけは、後手がきちんと引き渡すという評判さえあれば、
先手に評判がなくても、
先手が後手の評判を知っていて、
先に物を引き渡しさえすれば、
両者の間で取引は成立するからだ。

信頼ゲームでいう信頼とは、
後手が信頼できるかどうかが問われるという意味だ。
後手は評判を保つことで利益を受ける。
そのことを先手が知っていれば、
先手は後手を信頼する。
後手は裏切ったら評判を失う。

現実を考えても、匿名は先手だ。
匿名の買い手は先に代金を払ってから店を出ることを許される。
匿名なのに「後で払いますから」と言って
店を出ていくことはあり得ない。

先手が匿名であってもいいが、
後手は匿名であっては取引は成立しない。
匿名の後手は貰いっぱなしで逃げてしまえば得するだろう
と先手が疑うので取引にならないからだ。
現実の小売り取引でも、たとえ買い手が匿名であっても、
売り手は何らかの評判を持っていのが普通だ。

無期限でなければ取引は成立しない

取引当事者の少なくとも一方が評判を持てば、
取引が成立する可能性が開かれる。

しかし、もし取引機会に決まった最終回があるとすると、
それ以前の全期間で取引が成立しなくなる。
このことを示すには少々長くなるが、つきあって読んで欲しい。

まず、次のように考えよう。
ある取引において評判を要する側が
今後誰とも取引する機会を持たない場合、
その取引は成立しない。そのわけは、
評判は今後の取引機会を失わないためにあるからだ。
取引機会がこの取引が最後だとすると、
今後ということはないのだから、
この取引で裏切って評判を失っても
取引機会を失うことはない。
裏切らない動機がなくなる。
むしろ裏切ることで利益を得る。
少なくとも相手は裏切られると予想する。
したがって取引機会の最終回では取引は成立しない。

さらに、
最終回の直前でもやはり取引は成立しない、
ということを示そう。
最終回では取引は成立しないことは先に見た。
その直前ではどうか。
次の取引機会である最終回では取引が成立しない
と取引当事者は予想する。
すると今約束を守って評判を保っても
最終回に取引が可能になるわけではない。
評判を失っても失うものはない。
裏切らない動機はない。
むしろ裏切ることで今利益を得る。
少なくとも相手は裏切られると予想する。
したがって最後回の直前でも取引は成立しない。

直前の直前も同じ理由で取引は成立しない。
このお話を一つづ手前に適用していくと
全期間で取引が成立しない。
こういうロジックを
後ろ向き帰納法(バックワード・インダクション)
という。
ゲーム理論で使われるロジックだ。

決まった最終回があると、後ろ向き帰納法の呪いにより、
最終回のの手前の全期間で取引が成立しなくなる。
したがって、
取引が成立するには決まった最終回があってはならない。

決まった最終回のないゲームを、
無期限繰り返しゲームという。
取引は無期限繰り返しゲームでないと成立しないのだ。

このように無期限繰り返しゲームの中で生まれる均衡を
ビンモアは創発現象と呼んでいる(Binmore 2004,2007)。
取引は創発現象なのだ。

ビンモアのいう創発現象は、
こうした個々の取引だけではない。
よくよく考えると、
マネーや企業や国家や法といった文明社会的な存在は
何でもかんでも創発現象である。
つまり無限繰り返しゲームの中でないと生まれない。
この点は話が拡散するから別の機会に譲ろう。

長くなったが、結論は、
あらゆる取引は、
無期限繰り返しゲームの中でしか
成立しない
ということだ。

まとめ

というわけで
我々が日常何気なしに買い物できるのも
無期限繰り返しゲームの中で
評判を気にする売り手が存在しているからだ。

少し長くなったが、ビンモアの少年時代の疑問はこうして解ける。

参考文献

  • Binmore,K.(2004) “Reciprocity and the social contract,” politics,philosophy & economics.
  • Binmore,K.(2007) Game Theory: A Very Short Introduction. 金澤悠介・海野道郎訳『ゲーム理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)』2010年
  • Greif,A.(2005) Institutions and the Path to the Modern History. 岡崎哲二・神取道宏監訳『比較歴史制度分析』2009年
  • Nowak,M.(2006)”Five rules for the evolution of cooperation,” Science.
  • 青木昌彦 (2000)「財取引、契約、市場の私的秩序ガバナンス」『比較制度分析に向けて』第3章